2006年度 『大阪大学 その2』   
                                          

【2】 禅宗は鎌倉・室町時代に幕府の保護をうけて大いに発展した。主な禅宗寺院および禅僧の名をそれぞれ3つ以上挙げながら、鎌倉・室町幕府と禅宗との関係について述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 書くべきポイントを整理する。
@禅宗が鎌倉・室町時代に幕府の保護を受けて大いに発展したことが主題である。
A鎌倉・室町幕府と禅宗との関係について書く。
B主な禅宗寺院および禅僧な名をそれぞれ3つ以上挙げて、200字程度で書く。(
200字を越えても構わない


→テーマは鎌倉・室町時代の禅宗である。となると臨済宗と曹洞宗である。しかし幕府の保護を受けたのは臨済宗であり、曹洞宗が権力を嫌ったのは周知のとおり。
鎌倉・室町時代は、禅宗の中でも臨済宗が幕府の保護を受けて発展した。

 鎌倉幕府は栄西以来臨済宗を重んじた。その結果、北条時頼→蘭溪道隆=建長寺(鎌倉)、北条時宗→無学祖元=円覚寺(鎌倉)という図式となる。
 さらに室町時代になると、足利尊氏は夢窓疎石に帰依して後醍醐天皇の冥福を祈るために天竜寺を創建し、これ以後臨済宗は大いに栄えることになった。3代足利義満の時、五山(・十刹)の制が設けられ、
五山は幕府の統制を受ける代わりに保護されるようになった。幕府は僧録司を設けて五山を統制する一方で、五山僧は幕府の政治・外交顧問となった。五山僧の代表は教科書どおり義堂周信と絶海中津でよい。(日明貿易に貢献した瑞溪周鳳でもよい)彼らは漢詩文・水墨画などの文化面でも貢献し、武家文化の形成に大きな影響を与えた。
 その一方で、「幕府と禅宗の関係」と言われているからには、全ての臨済宗寺院が幕府の統制・保護下に入ったわけではなく、一休宗純の大徳寺のような
林下の寺院があり、民間布教に努めたことにも触れておきたい。
 
これらを200字程度でまとめればよい。

<野澤の解答例>
 
鎌倉幕府は栄西以来臨済宗を重んじ、蘭溪道隆らを招き建長寺などの大寺を建立した。室町時代になると、足利尊氏が夢窓疎石に帰依して天竜寺を創建して以来、臨済宗は大いに栄えた。足利義満南禅寺を頂点とする五山の制を設け、臨済宗は幕府の統制と保護を受けた。五山僧は政治・外交顧問として活躍する一方で、義堂周信らが文化面でも貢献した他方一休宗純の大徳寺のように幕府の保護を受けなかった林下の寺院もあり、民間布教に努めた(205字)

参考:駿台予備校の模範解答
 独自の文化形成を目指す鎌倉幕府では、北条時頼が蘭溪道隆を招いて建長寺を建立した。室町幕府でも足利尊氏が夢窓疎石に帰依して天竜寺を建立した。足利義満は五山・十刹の制を整え、相国寺に僧録司を設置して禅宗を統制した。義堂周信と絶海中津ら五山僧は、政治・外交顧問として活躍するとともに、漢詩文・朱子学・水墨画など中国文化の普及にも貢献した。一方幕府の保護を受けなかった林下は、民間布教・地方伝播を重視して活動した。(207字)


2006.9.17

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