2015年度大学入試センター試験『日本史A』問題解説

日本史A

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第1問
問1.Cが正解。これは猫どころかネズミでもできる。歴代の設問で最も簡単かもしれない。アは石炭が関係するものを水車と蒸気機関から選ぶ(当然蒸気機関)。イは図に描かれている煙を吐いて走っている機関車が、馬車か鉄道か(当然鉄道)を判断するものであった。
問2.@が正解。これは正文である@自体がいい問題だと思う。日本は1880年代の企業勃興が、紡績と鉄道から起こった。日清戦争前後の第一次産業革命で、紡績業(綿糸)はさらに発達し、輸出が増加したが、幕末にイギリスなどから安い綿製品が輸入されたため、国内の綿花栽培は壊滅しており、原料綿は中国やインドなどからの輸入に頼らなくてはならなかった。
 Aの関税自主権回復は1911年であり、明治末。Bの世界恐慌はアメリカ向け輸出の中心であった生糸産業を直撃した。Cのニクソン=ショックとは、1971年にアメリカ大統領ニクソンが、アメリカがドルと金の交換を突然停止し、1ドルが308円になったことである。(通史編『現代編5 戦後日本の経済成長/戦後の文化』参照)
問3.Dが正解。Tは、「国民半数の婦人は廿五歳以下の男子(略)とともに政治圏外に取り残された」から、1925年の普通選挙法制定とわかる。Uは、動員令、出征兵士からアジア太平洋戦争時のことだと判断できる。Vは有名な与謝野晶子の詩であり、日露戦争時のこと。

第2問
問1.@が正解。。アは選択肢ハリスはアメリカ、パークスはイギリスである。2行下に「この日米修好通商条約」とあるから、アメリカのハリスである。イは、日米修好通商条約の無勅許調印だから井伊直弼に決まっている。
問2.Cが正解。。@は、これを認めたのが領事裁判権である。Aは、箱館ではなく下田。Bは「関税自主権の欠如」は常識。
問3.Aが正解。。Xは、「横浜中心のイギリス相手」は、基本中の基本で正文。Yは金銀比価の相違によって、多くの金貨が日本から流出した。これへの対応が万延小判の鋳造である。
問4.Bが正解。少し戸惑ったかもしれない。というのは、aは史料からの読み取りだが、b〜dが知識だからである。落ち着いて考えれば解ける。史料から、この人物は幕末に天皇になった少年だから明治天皇だと判断できる。aは史料の内容から明らかに誤りなので、bが正文だと予測できる。天皇(天長)の誕生日は天長節という祝日となった。これは今でも天皇誕生日という形で残されている。cは、この人物の前の天皇だから孝明天皇。その妹和宮は14代将軍家茂の夫人となったので正文。dは一世一元制が定められたのは、明治天皇の時だから誤文である。
問5.Cが正解。。史料中に「いくつかの大名による連合から生まれました」と書いてある。基本知識としても、廃藩置県は1871年のことである。
問6.Aが正解。Tは薩英戦争。Uは廃藩置県(これがそのまま問5のヒントにもなっている)。Vは薩長連合。

第3問  日本史Bの第5問と同じ。

第4問
問1.Bが正解。アは1902年の3年後だから日露戦争。イは、1920年の前年だから1919年の出来事である。ダミーとなった甲午農民戦争は、日清戦争のきっかけとなった。
問2.Cが正解。これは注意力散漫なものは引っかかったかもしれない。Xの「憲政擁護・閥族打破」は第一次護憲運動のスローガン。第2次西園寺公望内閣が、いわゆる2個師団増設要求をめぐる「陸銀のストライキ」で退陣に追い込まれた後成立した第3次桂内閣に対して起こった。しかし、問われているのは第1次桂太郎内閣の時の出来事である。従って誤文である。Yは、第3次桂内閣が退陣した大正政変の後成立した第1次山本権兵衛内閣での話であり、これも誤文。
問3.@が正解。問われているのは1920年当時の内閣だから、原敬内閣である。@はその通りの正文。Aのシベリア出兵は寺内正毅、Bは清浦奎吾、Cはジーメンス事件のことだから、第1次山本権兵衛である。
問4.Bが正解。aは、ワシントン海軍軍縮条約の全権でこれに調印したのは海軍大臣であった加藤友三郎であった。加藤は、その痩躯から当初外国人記者から「ロウソク」と侮られたが、「八八艦隊」計画の推進者でもあった彼が、アメリカが提唱した主力艦の保有比率「5:5:3」の軍縮案に積極的に賛成したことから、一転して「admiral statesman」(admiralは海軍提督、statesmanは公平無私な立派な政治家。つまり「公平無私な立派な政治センスを持つ海軍提督」という意味)と賞賛された。dはお約束の「労働組合期成会=高野房太郎=明治時代」vs「友愛会=鈴木文治=大正時代」のひっかけに近い。
問5.Bが正解。ぼくはこれはよくできた良問だと思う。@は表を見れば確かに1920年から1925年までの間に東京市の人口は減少している。しかし、第一次世界大戦の講和条約が「人はイクイク(1919年)ヴェルサイユ」であることを考えたら、第一次世界大戦はすでに終わっている。しかも東京市から20万人も動員できないでしょう。これは、1923年の関東大震災の影響だと考えられる。Aは面積が増えていないのだから、周辺町村との合併はない。Cは割合は減少しているのだから、明らかに誤文。

第5問 「日本史B」の第6問と同じ。

第6問
問1.Cが正解。。アは1920年だから当然、戦後恐慌。その次の行にダミーである金融恐慌(1927年)に関連する内容が記されており、出題者のサポートを感じる。イは団琢磨だから当然、血盟団事件。
問2.Bが正解。。この「第一次世界大戦期に猪苗代-東京間の長距離送電に成功した」は頻出する。必ず見たことがあったと思う。Aは日露戦争のための外債で巨額の債務国(借金国)であった日本は、第一次世界大戦で債権国(金を貸している国)となった。つまり、債務と債権が逆である。これもお約束のネタ。Cは、考えたら分かる。明治初期の工場労働者は女性が圧倒的に多かった。なぜなら繊維業中心であったからであり、女工と呼ばれた。重化学工業の発達で、力の必要な男性の労働者が急増した。
問3.@が正解。これも。aは基本中の基本。bも基本。国家総動員法は、議会の承認を経ずに人的・物的資源を動員できる。cは日本史Bの過去問でも出ている。dの重要産業統制法は、国大競争力を付けるためにカルテルの結成を助長した。
問4.Cが正解。猫どころかネズミでも判断できる。各地の指導者を集めた大東亜会議がソウルで行われるはずがない。東京に決まっている。出来なければ知識以前の問題。
問5.Aが正解。これは絶対できたと思う。しかも選択肢a〜dの文章が、空欄甲・乙を判断することを助けている。よく考えられた問題だとぼくは思う。1937年に日中戦争が始まってから、下着の生産を増産して、鉄鋼の生産を大幅に減らすわけがないだろう。これを間違えた人は、戦争遂行には鉄より下着が必要だと考えていることになる。
問6.Aが正解。これも猫どころかネズミでも判断できる「ウの方針に沿って三井物産と三菱商事に解散指令を出し」だから、財閥解体に決まっている。エは、日本が占領から抜け出したのは、サンフランシスコ平和条約に決まっている。ダミーのポーツマス条約は、日露戦争の講和条約として中学校の教科書にも載っている。
問7.Bが正解。国連加盟とOECD加盟は頻出ネタである。Uの極東国際軍事裁判(東京裁判)は、戦後すぐ。Tの国際連合加盟は、鳩山内閣の日ソ共同宣言の締結とセット。VのOECD加盟は1960年。
問8.@が正解。これは考える力が必要だった。ぼくとしては当たり前のことから類推して正答を導き出させる良問だと思う。日本は原料を買って、製品を売る加工貿易の国であった。そして、輸出品は、繊維製品から重化学製品へ、そしてさらには半導体などのIC関連のものへと変わっていった。そのことが理解できていれば、1950年代後半はUの繊維原料を多く買って、Tの繊維製品を多く売っており、1970年代は、Tの原油を多く買って、Wの機械機器を売っていたと判断できる。


2015.1.21


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