2008年度大学入試センター試験『日本史』問題解説

日本史B

第1問
問1.猫問。祈年祭と新嘗祭の区別だが、春のはじめは祈年祭である。盟神探湯が鎌倉武士の武芸だと思った人は、解ける問題はないであろう。
問2.これも猫問。Tは農具の発達で江戸時代。Uは当然、弥生時代。Vの刈敷、草木灰は鎌倉時代である。
問3.Xの宮座は、惣(惣村)の寄合は、祭祀集団である宮座から発達したと習ったと思う。しかしこれに自信がなくても、Yの太占のハズはないし(一味神水の誤り)、Zは惣村に寺社奉行がいるはずがない。(「うっ、神社の祭礼は寺社奉行の管轄下にあったかも・・・」と悩んだ人は、江戸時代をイメージしたのであって、問題をよく読めていない。)全部×はないので、Xが判断できなくてもAと分かる。
問4.これは・・・、違いようがないでしょう。
問5.猫問。神仏分離令は明治初めのことである。
問6.神道指令とは、太平洋戦争後、GHQが政府に対して発した覚書の通称であり、信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を果たすために出されたものであるが、知らなかった人が多かったであろう。しかし、@〜Bが明らかに違うので消去法でわかる。@、Aは明治政府が神道を否定、弾圧するハズはないし、Bは「神道は祭天の古俗」と批判して神道家が支持するハズがない。

第2問
問1.猫問。アは江田船山古墳と稲荷山古墳(埼玉県)のどっちが熊本県かという問題だし、イは律令国家(奈良時代)が青銅器に文書を記録していたら、これはすごいことだろう(笑)。
問2.福岡県志賀島の金印は、弥生時代の後漢との交渉を示すものである。つまり弥生時代の記述を選べばよい。@は貝塚で縄文時代。Aの「硬質で灰色の土器」は須恵器だから古墳時代。Bはもちろん旧石器時代である。Cは弥生時代の環濠集落についての記述である。
問3.Tの国学は奈良時代。Uは平安初期。Vは藤原実資の日記であるが、彼は道長と同じ時代の空気を吸っていた人間である。
問4.「左京六条三坊」の位置である。一瞬「ゲッ!」と思ったかもしれないが、要は東西と左京、右京が分かっていれば解ける。「天子は南面す」、つまり天皇から見て左が左京である。頻出問題だね。
問5.猫問。聖武天皇の時代に流通させようとした貨幣だから、和同開珎しかないだろう。
問6.日本史ではなく、平易な古文が読めるかどうかの問題。解説の余地なし。

第3問
問1.平安時代の「源氏の東国進出」の流れは苦手な人が多い。が、これはできる。源頼信、頼義、義家関係で大江氏を見たことはないであろう。まして奥州藤原氏とくれば脊髄反射で平泉であり、福原(現神戸市)を拠点にしたハズがない。
問2.@の承平・天慶の乱(平将門、藤原純友の乱)、Cの霜月騒動(鎌倉時代。安達泰盛滅亡)を選んだ人は論外である。○○の結果、藤原清衡が勝利した、つまりこれで奥州が鎮まったわけだから、最後の後三年の役と分かる。
問3.Xはまさにそのとおり。Yの円覚寺舎利殿=禅宗様は基本中の基本である。
問4.ウが少し難しかったか。守護段銭のことである。分一銭とは徳政令の発布に伴い債権額・債務額の10分の1ないし5分の1の手数料を幕府に納入することを条件に、借金の保護または債務の破棄を認めたものである。エは基本。
問5.@は戦国大名の領国支配。Aは使節遵行、Bは刈田狼藉の検断権、Cは守護請である。
問6.あー、守護は「」てない→「武田(けだ)、今川(まがわ)、島津(まづ)以外残っていない」という「室町時代編9 戦国時代/都市の発達」の1行目そのもの。

第4問
問1.「う〜ん」ちょっと唸った。イは長崎新令から考えても「制限」だと分かるが、問題はアである。鉱山開発が進み、17世紀の半ば過ぎには銀の産出量は増加したのか、減少したのか。つい、勢いで「増加した」と答えたくなるが、よく読んで欲しい。「・・・さらに、長崎へ来航する貿易船が増加したことも加わって、幕府は銀の輸出をしだいに制限するようになった。」とあるのだから、「減少」を選ばなくてはならない。イが「制限」だと分かっていた人で間違えたら、これは国語力がないと言える。
問2.Vは田沼時代の南鐐二朱銀や明和五匁銀をイメージしたいが、それが分からなくてもTの銀座は幕初で、Uが幕末というのは明白なので解けるだろう。
問3.Bの株仲間解散は天保の改革。朝鮮人参座は田沼時代である。
問4.問題文が読めたら解ける。
問5.最も難問である。Zのフランスがイギリスの誤りなのは明白。この段階で@かAしかない。勝負はYの「琉球を通じて中国との密貿易を行い、利益を得た。」の正誤である。ほとんどの受験生が、薩摩藩が琉球との密貿易で利益を得たことは知っていたと思う。しかし、中国とまで関わっていたか否かは考えたこともなかったのではないか。山川の『詳説日本史』にはP213の脚注に「薩摩藩は、松前から俵物を積み出して長崎に向かう途中の船から俵物を買い上げ、これを琉球王国を通して清国に売る密貿易を行って利益をあげた。」と記されている。確かに教科書に載っている内容だとは言えるが、難問である。ただし、この時代、琉球が日本と中国に両属する関係であったことは、2006年度入試問題解説「東京大学3」でも述べたとおりであり、推理できなくもない。
問6.「九十九里浜の鰯→干鰯→金肥」。「出羽の紅花、阿波の藍」であり、基本。

第5問
問1.「『晴れた!、国会合』→1880年=国会期成同盟⇔集会条例」(『近代編前期4 自由民権運動の展開』参照)
問2.自由党の私擬憲法と言えば植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」でしょう。cは東京近郊の農村の青年たちの学習会から誕生したが、分からなくても「民撰議院設立建白書」ではないでしょう。できる!
問3.太政官制に代わって内閣制度。当たりまえやろ!
問4.Xは「ヒロンのミヨケンタマン」→「伊藤文・上毅・伊東巳代治・金子堅太郎・レル」。Y、明治憲法は欽定憲法です。常識。(『近代編前期5 立憲国家の確立』参照)

第6問

問1.アは「内閣弾劾演説」を想起したい。イは解説の余地なし。
問2.細かい年代を覚えていなくても、Vを理由に参戦し、大戦中のどさくさまぎれにUを行い、戦後、Tから米騒動になるのだから、流れを考えたら分かる。
問3.Yの統帥権干犯問題でテロに倒れた首相は浜口雄幸である。城山三郎の『男子の本懐』を読め!
問4.これも流れで分かる。Tの柳条湖事件から満州事変がおこり、満州国が建国された。その満州国の承認を渋る犬養首相がVの五.一五事件で暗殺されたのである。五.一五と二.二六は海軍だったか陸軍だったか覚えていなかった人でも、Vは犬養毅首相暗殺=五.一五事件とはっきりヒントをくれているから、Uは二.二六事件と判断できる。あとは五.一五事件とUの二.二六事件のどちらが先だったかという判断である。
問5.日本史ではなく、現代文の読解力の問題。解説の余地なし。
問6.やや難しいか。エは朝鮮戦争だと分かるが、問題はウである。太平洋戦争の戦局の大きな流れは、「当初日本軍優勢」→「ミッドウェー海戦の大敗北(1942)が転機」→「サイパン陥落で東条内閣退陣」である。(『近代編後期9 太平洋戦争』参照)
問7.Bの国際連合の設立準備は「1945年4月25日、ドイツまたは日本に宣戦している連合国50ヵ国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開いて国際連合憲章を採択した」ことが、『現代社会』や『政治経済』の教科書に記されている。が、これは難しい。しかし、この問題では@、A、Cが基本問題なので、消去法でBだと解ける。
問8.dの東海道新幹線は東京オリンピックと同じ1964年なのは分かるとして、bの公明党っていつできたんだ? しかしaの自衛隊はゴジラと同級生の1954年だし、cの変動相場制は1973年だから、2つめは消去法で選べる。(1973年=オイルショックと変動相場制は、『現代社会』『政治経済』をまじめにやっていた人には常識でしょう。)

2008.1.20

 大学入試センター試験indexに戻る