入試問題で確認するテーマ史

17世紀の江戸幕府のキリスト教政策と対外政策

 
 1610年代から1640年代にかけての幕府のキリシタン政策は、対外政策と連動していたことに特色がある。その変遷を、段階的かつ具体的に述べよ。(京都大学2015年度 200字)

 江戸時代、幕府はキリスト教に対してどのような姿勢で臨んだのか。17世紀におけるキリスト教政策の展開について具体的に述べなさい。(大阪大学2012年度 200字程度)
 
 基本的に同じ設問である。ほとんど同じ答案で良いと考える。基本的な流れは次の通りである。

【当初】
1 家康は、貿易を奨励しており、宣教師の貿易を仲介する力に着目していた。田中勝介をノビスパンに派遣したことでもわかるように、スペインとの貿易ルートを探っていた。そのためスペインとの関係が強いフランシスコ会などのキリスト教の布教を黙認した。
       ↓
2 オランダ船リーフデ号が漂着し、キリスト教の布教を行わないことを条件として、オランダ、イギリスが平戸に商館を開くことを朱印状で認めた。
      ↓
3 これにより宣教師に頼らない貿易ルートを確保することができた。
      ↓
【禁教に転換】
4 キリスト教徒の団結への警戒は強く、ノビスパンとの通商の実現が困難であると判断して、1612年に幕領と直属家臣に対して禁教令を出す。さらに翌年には全国に禁教令を出して、改宗を強制
      ↓
5 高山右近や宣教師を追放(1614)
      ↓
【家康の死後、禁教政策と外交・貿易統制が一体化】
6 中国船以外の外国船の寄港地を平戸と長崎に制限(1616)
      ↓
7 宣教師が朱印船を通じて密航をはかった事件をきっかけに元和の大殉教(1622)
      ↓
8 キリスト教の布教が侵略を招く恐れを強く感じ、布教に熱心なスペインと断交し、スペイン船の来航を禁止(1624)
      ↓
9 シャムで朱印船がスペイン船との紛争に巻き込まれたことをきっかけに、奉書船制度を導入(1633)
 =朱印船による外交・貿易統制から外交・貿易を厳しく制限する方向に転換
      ↓
10 日本人の海外渡航と帰国を禁止(1635)。同年、中国船の寄港地も長崎のみに制限
      ↓
11 島原の乱(島原・天草一揆)(1637~1638)=潜伏キリシタン(隠れキリシタン)が公然と信仰を表明
      ↓
12 キリスト教徒の根絶をはかる
 ・長崎で行っていた絵踏を九州各地に拡大
 ・寺請制度を設けて、宗門改めを実施
 ・ポルトガル船の来航禁止(1639)→宣教師の潜入を防止
      ↓
13 布教をしないオランダ船のみ来航するようになる
      ↓
14 オランダ商館を平戸から長崎出島に移す(1641) 出島は、もとはポルトガル人による布教を防止するために築かれた
 
 
<野澤の解答例>
 当初、幕府は貿易奨励もあって布教を黙認していたが、スペイン・ポルトガルによる侵略や信徒の団結を危惧して、禁教令を発して改宗を強制するなど弾圧策に転じた。さらに貿易統制もあり外国船の寄港地を制限し、スペイン船の来航を禁じるとともに日本人の海外渡航と帰国を制限した。島原の乱後はポルトガル船の来航を禁止し、オランダとのみ貿易を行う一方、絵踏を強化し、寺請制度を設けて宗門改めを実施して信徒の根絶を図った。(200字)

  

 2021.2.8

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