○和同開珎
「和銅元年春正月乙巳、武蔵国秩父郡、和銅(にぎあかがね)を献ず。詔して曰く、「・・・東方武蔵国に自然作成る和銅出在り。・・・慶雲五年を改めて、和銅元年として・・・
五月壬寅、始て銀銭を行う。
八月己巳、始て銅銭を行う。」
→和銅元年は708年、元号は和銅で貨幣は和同(開珎)である。字に注意。建前は武蔵の国から銅が献上されたとなっている。和同開珎は銅銭だけでなく銀銭も作られたことは知っておかなくてはならない。
なお、近年では和同開珎より古い富本銭の存在が確認されているため、「日本最初の貨幣」という出題の仕方はない。(もしあれば出題ミス)
○蓄銭叙位令
「(和銅四年冬十月甲子)「それ銭の用なるは、・・・なお銭を蓄うる者なし。その多少に随いて節級して位を授けむ。」
→和銅四年は711年。「銭を蓄うる」「位を授けむ」という言葉から分かる。
○三世一身法
「(養老七年四月)・・・太政官奏すらく、その新たに溝池を造り、開墾を営む者あらば、多少を限らず、給いて三世に伝えん。もし旧の溝池に逐わば、その一身に給わん」と。
→養老七年は723年。「三世」「一身」はキーワード。太政官が、空欄補充になる場合もある。
○墾田永年私財法
「(天平十五年五月)・・・詔していわく、「聞くならく、墾田は養老七年の格に依りて、限満つるの後、例に依りて収授す。是れ由りて農夫怠倦して、開ける地また荒ると。今より以後は、任に私財となし、三世一身を論ずることなく、ことごとくに永年取ることなかれ。」と」
→天平十五年は743年。養老七年の格は三世一身法である。史料中の「三世一身」は空欄補充になる。「私財」「永年」という決定的キーワードがある。
○国分寺建立の詔
「(天平十三年三月)・・・詔して曰く、「・・・宜しく天下の諸国をして・・・僧寺には必ず二十僧有らしめ、その寺の名を金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)と為し、尼寺には一十尼ありて、其の寺の名を法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と為す。」
→天平十三年は741年。「天下の諸国」から国分寺建立の詔だと分かりたい。国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の正式名称が問われることもある。
○大仏造立の詔
「・・・ここに天平十五年歳(ほし)は癸未に次(やど)る十月十五日を以て、菩薩の大願を発して、盧舎那仏の金銅像一躯を造り奉る・・・それ天下の富を有(たも)つ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり。・・・」と。
→天平十五年は743年。大仏の正式名である盧舎那仏が空欄補充となる。朕はもちろん聖武天皇。
※上記の史料の出典は全て『続日本紀』である。奈良時代の史料の出典は全て『続日本紀』だと考えてまずO.K.である。
○古事記の序文
「臣安万侶言(もう)す。・・・天皇詔して「朕聞く、諸家のもたる所の帝紀及び・・・」・・・和銅四年九月十八日を以て臣安万侶に詔して、「稗田阿礼の誦み習う所の勅語の旧辞を撰録して献上せしむ」といえば・・・」
→安万侶は太安万侶、稗田阿礼は言うことなし。問題は天皇=朕は、稗田阿礼に勅語して旧辞を誦み習わせた人物であるから天武天皇。太安万侶に詔したのは元明天皇である。
○貧窮問答歌
「風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ・・・竈には 火気ふき立てず 甑には 蜘蛛の巣懸きて 飯炊く事も忘れて 鵺(ぬえ)鳥の 呻吟ひ居るに いとのきて 短き物を 端截(はしき)ると 云へるが如く 楚(しもと=むち)取る 里長が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ 斯くばかり 術無きものか 世間(よのなか)の道
世間(よのなか)を 憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」(万葉集)
→史料集を持っていない人でも、これが載っていない教科書はないので見たことはあると思う。長歌の部分は受験ではどこが引用されるかは明確に言えないが、最後の反歌を含めて赤字にしたあたりは触れられるようである。
山上憶良の貧窮問答歌であることが分からなければ論外である。憶良は万葉歌人であり、これは奈良時代の公民の負担を詠んだ歌だと判断できればそれでよい。
なお、長歌のあとにつく短歌を反歌ということも、国語の知識として知っておきたい。
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