史料『漢書地理志〜宋書倭国伝』のポイント

漢書地理志
「夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて余国となる。歳時を以て来り献見すと云う。」
紀元前1世紀の日本。楽浪(=楽浪郡)は空欄補充。「歳時を以て来り献見」が「定期的に朝貢」であることが正誤問題。

後漢書東夷伝
これは注意が必要。わずか6行の史料の中に、3つの時代が記されている。
(1)「建武中元二年(=57年1世紀後半)、倭の奴国・・・光武(=光武帝)賜ふに印綬を以てす。(金印をもらった→「福岡県志賀島」から「漢委奴国王」)」なお、空欄補充の場合は「光武」である(光武帝ではない)ので注意。
(2)「安帝の永初元年(=107年2世紀前半)、倭国王帥升等、・・・生口(=奴隷)百六十人を献じ・・・」
(3)「桓霊の間(=2世紀後半)、倭国大乱・・・」→この時代に防御的機能をもった「高地性集落」や「環濠集落」がつくられた。
  なお「桓霊の間」を具体的に何年から何年かと問う悪問があったが、出来なくて良い。

魏志倭人伝
(1)「倭人は帯方の東南大海の中に在り、・・・旧百余国、漢の時朝見する者有り。今使役通ずる所三十国。より倭に至るには・・・邪馬台国に至る。女王の都する所なり。」
 帯方はともに帯方郡であり漢書の楽浪郡と区別。「旧百余国、漢の時朝見」は、漢書地理志の内容を指す。三十邪馬台国は空欄補充。女王卑弥呼なのは言うまでもない。
(2)「女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。・・・下戸、大人と道路に相逢えば・・・」
→社会は「大人ー下戸ー奴婢」という身分。「一大率」という役所があり、諸国を検察。
(3)「すなわち共に一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。鬼道に事(つか)え能く衆を惑わす。年すでに長大なるも、夫婿なし。男弟あり、佐けて国を治む。」
→卑弥呼は「シャーマン的君主。鬼道といわれる呪術。高齢で弟が補佐
(4)「景初二年六月、倭の女王、大夫難升米らを遣わしに詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。・・・今汝をもって親魏倭王・・・。卑弥呼もって死す。・・・また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となす。」
→外交は「景初二年3年の誤りであり239年(→3世紀前半帯方郡経由で洛陽へ→『親魏倭王』の称号と銅鏡。卑弥呼の死後、壱与が西晋へ遣使。」
 史料中の郡は漢書楽浪郡」「魏志帯方郡」である。

高句麗好太王碑文
「百残・新羅はもとよりこれ属民なり。由来朝貢す。しかるに倭、辛卯の年よりこのかた・・・」
イントロクイズ。辛卯の年391年4世紀末。派兵の目的は鉄資源の確保である。

宋書倭国伝
「・・・死して弟立ち・・・。順帝の昇明二年、使を遣わして表を上りて曰く。「・・・東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国。・・」と。詔して武を使持節都督倭・・・安東大将軍倭王に除す。」(「倭王武の上表文」)
 =安康天皇。武=雄略天皇。昇明二年=478年。毛人は蝦夷。衆夷は熊襲。海北は朝鮮半島と考えられる。

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