史料『貞永式目〜鎌倉新仏教』のポイント

貞永式目制定の趣旨
 「・・さてこの式目をつくられ候ことは、なにを本説として注し載せらるるの由、人さだめて謗難を加事候か。まことにさせる本文にすがりたる事候わねども、ただだうりのおすところを記され候ものなり。・・・これによりて京都の御沙汰、律令のおきていささかもあらたまるべきにあらず候なり。」
 だうり道理、つまり「武士社会の慣習・道徳」であり、書けなければならない。「京都の御沙汰、・・・あらたまるべきにあらず」から、貞永式目が御家人社会にのみ適応したことを導きだす。差出人の武蔵守は北条泰時、受取人の駿河守は北条重時である。(『本館』鎌倉時代編2参照)

貞永式目の内容
 「一(三条)、諸国守護人奉行の事 右、右大将家の御時定め置かるる所は大番催促・謀叛・殺害人等の事なり。」
 右大将家はもちろん源頼朝大番催促・謀叛・殺害人等の事はいわゆる大犯三箇条である。(『本館』鎌倉時代編1参照)貞永式目の内容では、この他に「女人養子を認めること」や「女子にも悔い返しを認めること」などが出題される。

蒙古牒状
「上天の眷命せる大蒙古国皇帝、書を日本国王に奉る。・・・兵を用うるに至りては、それ孰か好む所ならん。」
 大蒙古国皇帝フビライをさすことは絶対。元寇の時のものだと分かれば、時の執権北条時宗は答えられる。

地頭の横暴(阿テ河荘民の訴状)
 「阿テ河ノ上村百姓ラツヽシテ言上・・ヲンサイモク(御材木)ノコト。アルイワチトウ(地頭)ノキヤウシヤウ(京上)、アルイワチカフ(近夫)トマウシ(申し)、・・・」
これで、阿テ河荘民の訴状であり、鎌倉時代の地頭のことを記したものだと分かれば可。強いて言えば「なぜチトウ(地頭)はキヤウシヤウ(京上)するのか」という問題があった。もちろん、京都大番役を勤めるためである。なお、これは紀伊国阿テ河荘民が地頭の湯浅氏の非法を荘園領主(本家は園城寺円満院、領家は寂楽寺)へ訴えたものである。(『本館』鎌倉時代編3参照)

二毛作
 「諸国の百姓、・・・其の跡にを蒔く。田と号して・・・」
 これで、二毛作を指しており、鎌倉時代のことだとわかればよい。

永仁の徳政令
 「関東より六波羅へ送らるる御事書の法
 一 越訴を停止すべき事・・・
 一 質券売買地の事
右、所領をもって或(ある)いは質券に入れ流し、或いは売却せしむるの条、・・・向後においては停止に従うべし。・・・ 或は知行二十箇年を過るは、・・・次に非御家人・凡下の輩の質券買得地の事、年紀を過ぐるといえども、売主知行せしむべし・・・」
 越訴とは再審請求のこと。二十は空欄補充。凡下の輩とは一般庶民のことだが、具体的には借上をさす。年紀が20年を指すのは言うまでもない。

愚管抄
 「・・世の道理の移りゆく事をたてんには、一切の法はただ道理という2文字がもつなり。そのほかにはなにもなきなり」
 『愚管抄』が道理末法思想によって書かれていることを考えれば分かる。ここでいう道理とは、歴史を貫く原理であり、今我々が使っている言葉に近い。「貞永式目制定の趣旨」の道理(武士社会の慣習・道徳)と混同しないこと。

専修念仏
 「もろこし我が朝もろもろの智者たちのさたし申さるる観念の念ニモ非ズ。・・・ただ往生極楽のタメニハ南無阿弥陀仏と申て疑なく往生スルゾと思とりて申外には別の子細候はず。」(『一枚起請文』)
 赤字の部分で専修念仏だと分かりたい。出典は法然の『一枚起請文』であるが、ここから彼が九条兼実の求めに応じて著した文献として『選択本願念仏集』を引き出させる問もある。

悪人正機説
 「善人なおもちて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
 イントロあてクイズです。ただし、出典の『歎異抄』の筆者は親鸞の弟子の唯円であって親鸞自身ではないことは注意。

只管打坐
 「一日問云、・・・示云、只管打坐也」(『正法眼蔵随聞記』)
 とは道元の弟子の懐弉。『正法眼蔵随聞記』の筆者である。これで曹洞宗関係だと分からなければ、もういい。

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