史料『江戸幕府の成立〜文治政治』のポイント

武家諸法度
 「一、文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事」という書き出しは、元和令も寛永令も同じ。元和令は「諸国の居城、修補を・・・」という部分がある。
それに対して、寛永令は「大名小名、在江戸の交替相定むる所なり。毎年夏四月中参勤致すべし」と「五百石積以上の船、停止の事」がポイント。空欄で抜かれることもある。

禁中並公家諸法度
 「一、天子御芸能の事、第一御学問也。」の学問が空欄。「一、紫衣の寺は・・・」で、紫衣事件と後水尾天皇を聞く問題が多い。

慶安触書
 全体の文章のリズムから、出典が分かって欲しい。空欄補充は、「一、百姓ハ、衣類の儀、布・木綿より外ハ、帯・衣裏ニも・・・」ぐらいか。女性史とのからみで第14条が出たこともある。「各別なり」は「話が別だ」の意。

田畑永代売買禁令
 「向後田畠売買停止たるべき事」につきる。

分地制限令
 「名主二十石、百姓は石以上・・・」の数字を入れて。なお、分地制限令は1673年の時は、20石(一般百姓は10石)以上持っていたら、分地できたが、1713年令の結果、分地した後、20石(一般百姓は10石)以上でなければならなくなったことも知っておくこと。

田畑勝手作の禁
 「たばこ」「木綿」「菜種」の空欄補充。なぜか木綿がよく聞かれる。

鎖国令
☆「寛永10年令(1633)」→「異国え奉書船の外、舟遣わし候儀堅く停止の事」で見分けて。後「異国船につみ来り候白糸、値段を立て候而残らず五ヶ所へ割符仕るべきの事」で、五ヶ所商人の場所が聞かれる。知っての通り、博多は含まれない
☆「寛永12年令(1635)」→「日本人異国え遣し申す間敷候。」につきる。
☆「寛永16年令(1639)」→「かれうた渡海の儀、これを停止せられ畢んぬ。」なお「かれうた」とはポルトガル船だということも問われる。

生類憐れみの令
 「計に限らず、惣て生類人々慈悲・・・」でわかるでしょう。

『折たく柴の記』にある貨幣改鋳
 要は新井白石荻原重秀の悪口を書いているのだが分かれば良い。「今重秀が議り申す所は・・・以て元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。」

長崎新令
 「長崎表廻銅凡一年の定数・・・」からはじまり、「唐人方・・・三十艘、銀高六千貫目に限り」「阿蘭陀人商売・・・艘、凡て銀高三千貫目限り」ということろだが、空欄で数字が抜かれたら難しい。正徳五年が1715年だとはわかって。かつて「奥船」「口船」の意味を聞いた大学があったが、そんなに大事かなぁ。

読史余論
 とにかく空欄補充のオンパレード。「神皇正統記」「清和」「良房」「基経」「陽成」「光孝」「後三条」「白河」「源頼朝」「承久の乱」「高時」「後醍醐」「尊氏」「織田家勃興して将軍を廃し→足利義昭」「豊臣家・・・関白」。でも落ち着いて読めば、わかるでしょう。オープニングの「本朝天下の大勢、九変して武家の代となり、武家の代また五変して当代におよぶ総論の事」で、出典がわかって欲しい。

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