中学校定期考査対策2 『大正末期〜太平洋戦争』 

 中学校2年生の定期考査対策用に作成したものです。前回同様あくまで中学生向けです。大学受験生にも参考になれば幸いです。

 今回は、大正末期から太平洋戦争が終わるまでの流れを年表形式でまとめてみました。
 
 
1920年 戦後恐慌(←大戦景気の反動)

  1921年 ワシントン会議開催
        四カ国条約=太平洋問題→日英同盟廃棄
 1922年 九カ国条約=中国問題→対華二十一箇条要求の一部廃棄(高校ではこれと石井・ランシング協定廃棄である)
        海軍軍縮条約=主力艦の保有比率→米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67
                 ↓
        ワシントン体制という協調外交始まる(日本では幣原協調外交といわれる)
        ファシスト党を率いるムッソリーニ(イタリア)、首相となる

 1923年  関東大震災起こる(→朝鮮人・中国人に対する虐殺がおこる)
        震災恐慌起こる。(→関東大震災のために決済不能になった手形を震災手形という)

 1924年 加藤高明内閣成立(→衆議院の多数党が政権を担当するという政党政治(憲政の常道)スタート)
 1925年 ソ連との国交樹立(日ソ基本条約)
        普通選挙法成立
        治安維持法成立

   1927年 銀行が次々と休業・倒産する金融恐慌起こる(→モラトリアム3週間と日銀からの非常融資=裏白紙幣で収める)
       →五大銀行(三井・三菱・住友・安田・第一)の優位確立
 1928年 関東軍が満州軍閥張作霖を爆殺する事件が起こる。関東軍、満州占領を狙うが失敗

 1929年 アメリカ、ニューヨークの株価の大暴落から世界恐慌起こる
        農村ではアメリカ向け輸出の中心であった生糸を直撃
        都市では中小企業の倒産続出
              ↓
 1930年 昭和恐慌起こる(欠食児童、女子の身売り)
        ロンドン海軍軍縮条約(補助艦の保有比率→米:英:日=10:10:6.975)を軍部の反対を押し切って調印
              ↓
         統帥権干犯問題となる→浜口雄幸首相、東京駅で撃たれ翌年死亡(このころテロやクーデタ未遂事件相次ぐ)

 1931年 柳条湖事件(関東軍が満鉄爆破←関東軍参謀石原完爾)→満州事変に発展
 1932年 満州国建国宣言=執政溥儀(清朝最後の皇帝)←実質は関東軍が支配
                →犬養毅首相、満州国の承認をしぶる
              ↓
        五.一五事件(海軍青年将校によって犬養毅首相暗殺される)→政党政治(憲政の常道)終わる
              ↓
        斉藤実首相、満州国承認
              ↓
        国際連盟、リットン調査団派遣→リットン報告書は満州国を否定→国際連盟、報告書を採択
              ↓
 1933年 日本、国際連盟を脱退
       
日本、赤字国債と軍需による内需拡大で、世界恐慌前の生産水準を越える→重化学工業発達→新興財閥誕生
           英・仏→ブロック経済(本国と植民地間で貿易し他国を閉め出す)で対抗
          米→フランクリン=ローズヴェルト大統領のもとTVAなどのニューディール政策
         ソ連→計画経済(五カ年計画)
        ナチス党を率いるヒトラー(ドイツ)、政権を握る  

 1936年 二.二六事件(陸軍青年将校によって蔵相らが暗殺される)→鎮圧されるも軍部の政治発言力増大
       蒋介石の中国国民党と毛沢東の中国共産党とが合同して一致抗日にあたる(第二次国共合作)

 1937年 盧溝橋事件(北京郊外で日中両軍衝突)→日中戦争開始→首都南京占領→中国は首都を重慶へ
 1938年  近衛声明(近衛文麿首相。「東亜新秩序」建設、「国民政府を対手とせず」)→アメリカ反発
        国家総動員法=議会の承認なしで人的・物的資源を統制

 1939年 独ソ不可侵条約
        ドイツがポーランドへ侵攻し第二次世界大戦始まる

 1940年 ドイツ、パリを攻略しフランス降伏→日本陸軍、ドイツとの同盟を期待
        日独伊三国軍事同盟
        全ての政党は解散して、大政翼賛会が発足する

 1941年 日ソ中立条約
        天然資源を求めて南部仏印(フランス領インドシナ)進駐←→ABCD包囲網
        ハル・ノート=アメリカ、満州事変以前の状態へ戻すことを要求→日本、対英米戦決定
        ハワイ真珠湾攻撃(12月8日)→太平洋戦争開始(スローガンは「大東亜共栄圏」建設)
        当初、日本軍優勢→占領地に日本語の強要や神社参拝の強制、労働の強制などを行い現地反発
                    (この他、朝鮮や台湾では日本式の名前に改める創氏改名や徴兵、強制連行などを行う。)

 1942年 ミッドウェー海戦の大敗北=戦局の転換
 1943年 イタリア、無条件降伏
        大東亜会議=東京にアジア各地域の代表を集めて開く

 1944年 サイパン島陥落→B29による本土爆撃本格化

       <戦時下の国民生活>
      国民→政府=農村は米、国民は金属類を供出
      政府→国民=米(配給制)、衣料、マッチなど(切符制)
      学生→勤労の場へ学徒動員、戦地へ学徒出陣
      未婚女性→女子挺身隊(勤労)
      都市の小学生→空襲をさけるため集団で学童疎開

 1945年 ヤルタ会談(米・英・ソ)→ドイツ降伏後3ヶ月以内にソ連が対日参戦(ヤルタ協定)
        ドイツ無条件降伏
         アメリカ軍、沖縄本島上陸→男子=鉄血勤皇隊、女子学生→ひめゆり部隊など多くの犠牲
        ポツダム会談(米・英・ソ)→ポツダム宣言(米・英・中)
        広島に原子爆弾投下(8月6日)
        ソ連の対日参戦(8月8日/日ソ中立条約を無視)
        長崎に原子爆弾(8月9日)
        ポツダム宣言受諾(8月14日)
        天皇の終戦詔勅(8月15日)

2006.2.13

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