『中国人青年の日本史学習意欲と若者の可能性』


 時計の針が午前0時をまわり、日本時間で2016年12月26日(月)になった頃、1通のメールを受け取った。
 その書き出しは、

  尊敬する野澤道生先生
  突然の連絡で本当に失礼いたします。
  僕は、日本の歴史に頗る興味を持っている中国青年の一人です。


 今までぼくのホームページに関して、海外在住の日本人や日系人からメールをもらったことはあったが、外国人から受け取ったのは初めてだった。
 差出人の中国人青年は、外国語として日本語を学んだ人にありがちな、丁寧な言葉を使おうとするあまり、やや不自然になっている表現で、

 
自分は、上海師範大学を卒業して2年目の社会人であり、元々は日本語専攻生であったこと。
 現在は、毎日仕事を終えて家に帰ると、ネットで日本語に関する知識を探すのが習慣になっていること。
 特に大学時代から、日本史に強い興味を持つようになったのだが、当時、授業で使われていた中国人の先生が編纂した教科書に物足りなさを感じていたこと。
 そのため、探究心が満たされず、日本史への興味が弱まりつつあったこと。

 などが記されていた。
 そんな彼が、再び日本史を学びたいと思うようになったきっかけは、数ヶ月前にネットでNHK大河ドラマ「平清盛」を見たことであった。
 ドラマで描かれた平安時代末期の武士たちの姿と宮廷での権力闘争に驚き、保元の乱の実態、院政の正体、「平家にあらずんば人にあらず」とまで言った平家の最盛期の様子に心が踊ったのだと言う。
 「平清盛」は、NHK大河ドラマとしては、視聴率記録が集計されている1989年以降最高視聴率、平均視聴率、最低視聴率のすべてにおいて最低を記録したものであり、兵庫県知事に「画面が汚くチャンネルを回す気にならない」と評されたものであった。しかし、日本史を学びたいと考えている外国の青年にとっては、その臨場感が歴史の魅力を再発見させるものであったのだろう。

 今、彼は、山川の『詳説日本史B』を買って、さらに専門用語の読み方を把握するためにNHKの「高橋日本史女学館」を利用して毎日勉強しているそうである。
 そして

 昨今、僕は家にいる時ずっとあることを考えていました。それは、僕は、一体、どんな人になりたいのか、どんな道を選びたいのか、このままの生活を続けたいのかという思いです。考えたあげく、やっぱり僕はもっと日本に関する知識を身につけたいのだという結論を出しました。そして、院生になろうと決意しました。今、狙っているのは北京外国語日本語研究センター、あるいは北京大学です。いずれも由緒正しい名門校で、容易な道ではないです。しかし、僕は諦めません。理想ですから。受かるためには相当の日本史の知識が必要です。
 まことに恐縮ですが、もしよろしければ、先生のノートをいただけないでしょうか。貴重なノートだとわかっていますので、絶対他人には漏らしません。もし先生のノートを頂ければ幸運、幸福の至りと存じます。

と書かれていた。ぼくは、ノートのアドレスに添えて、

余談ですが、ぼくは今から約30年前、学生時代に1ヶ月半ほどバックパッカーとして中国をまわったことがあります。そして10年前と7年前に修学旅行の引率で中国へ行きました。
わずか20年間での中国の発展・変化に驚きました。
ぼくの中国語は、30年前の旅行の時に必要最小限、覚えただけのものです。
いつも語学をもっと勉強しておけば良かったと後悔しています。

君が日本史を勉強する上で、正しい日本語は今以上に必要になるでしょう。
失礼とは思いますが、君からのメールの誤っている部分を赤で修正しておきます。よかったら参考にしてください。
 

と書き、
を入れた彼からのメールと合わせて送った。数時間後、彼から、非常に丁寧な感謝のメールを受け取った。

 
 今、日本と中国との関係は、決して良好とは言えない面がある。
 しかし、彼のように日本に興味を持ち、純粋にその歴史を勉強したいと願う若者が、まっすぐに育っていくことが、今後の日中関係をより良い方向へと導いてくれるのではないか。
 それは日本の若者に対しても言えることである。

 
We cannot always build a future for our youth, but we can always build our youth for the future.
 
 若者のために、未来を創れるとは限らない。だが、未来のために、若者を創ることはできる (フランクリン・ローズヴェルト)


 教師冥利に尽きる思いがした。


2016.12.28


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