コラム 新人墓マイラー奮戦記8 

青山霊園ふたたび その1 
『乃木希典から北里柴三郎』


  2013年12月のはじめ、東京へでる機会があった。当初は、国立新美術館に『印象派を超えて―点描の画家たち』を見に行く予定で、東京メトロの乃木坂駅で降りたのだったが、国立新美術館の隣が青山霊園である。気がつけば墓マイラーと化していた。


1 『坂の上の雲』の世界

乃木希典。乃木神社もあり、霊園でも「乃木将軍通り」まである意味スター的存在。しかし203高地で多大な犠牲を出したように、軍略家としては決して才能のある人ではなかったとも言える。しかし、漢文の教養深い高潔な人物であったことは評価してよいのではないか。ぼくは、乗っている馬に手ずから角砂糖を食べさせていた話が好きである。墓にはきれいな花が備えられていた。 秋山好古。フランス軍人に、「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞された「日本騎兵の父」。霊園の隅にひっそりとたっていた。 広瀬武夫。旅順港封鎖作戦で戦死。軍神とされて3体も銅像が建てられ、『広瀬中佐』という歌までつくられたが、ぼくにはアリアズナとの悲恋のほうが印象的。



2 文学者・芸術家・歴史家

尾崎紅葉。言わずと知れた『金色夜叉』。「いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから」。参ったときは横の小木が紅葉していてちょっと感動した。 志賀直哉白樺派の代表であるが、授業ではアジア・太平洋戦争後、「日本が戦争に負けたのは日本語が難しすぎるからだ。この機会に最も美しい言語を国語にすべき。」と言って、フランス語を国語に推薦した話で登場。 九代目市川團十郎。「団菊左時代」で有名であるが、実は相当な苦労をした。また娘に梨園外の男性との自由恋愛を許すなど、進歩的な人物であった。 山路愛山。授業ではでません。ジャーナリスト、歴史家、そしてキリスト教徒でもある。ただ評価は分かれるのではないか。


 
 3 思想家

中江兆民。ご存じ「東洋のルソー」。しかし彼はフランスへ留学したからフランス語ができたのではない。幕末にすでに学んでおり、兵庫開港の時には通訳も務めている。学校で英語の勉強をまったくせずにいて、アメリカへ留学したら突然できるようになったりはしないのと同じである。しかも自らが興した仏学塾では、漢文の教養が必須だった。
第1回帝国議会での自由党土佐派が買収されたことに憤り、
「衆議院は無血虫(うじむし)の陳列場」と議員辞職したことは有名だが、ということは第1回衆議院議員選挙で当選したわけである。彼は選挙にあたり、本籍を大阪の被差別部落に移し、そこから1位当選している。三味線、文楽が大好きで破天荒な行動もある興味の尽きない人物である。
三宅雪嶺。受験では「三宅雪嶺=政教社+『日本人』→国粋保存主義」は丸暗記ネタである。また、『日本人』は高島炭鉱(長崎県、三菱経営)の労働者の惨状を報道したことでも教科書ネタ。雪嶺自身の墓というのではなく、傍らに立つ墓碑に雪嶺の文字がある。
なお、雪嶺の長女多美子は、中野正剛の夫人である。中野正剛は、「千夜千冊」の松岡正剛氏の言葉を借りると「朝日新聞の辣腕記者であって、電信電話の民営論者。大塩中斎と西郷隆盛と頭山満に憧れていて、犬養毅と尾崎咢堂の擁護者。シベリア出兵の反対者にして極東モンロー主義者。それでいて満州国支持者で、ファシストであって東条英機の戦線拡大反対者」という不思議な人物であり、東条と対決して自宅で割腹自殺した。



4 科学者

北里柴三郎。受験では破傷風菌、ペスト菌の発見で出題されるが、血清療法を開発して世界を震撼させ、第1回ノーベル賞の最終候補となったこと。脚気は細菌が原因ではないと主張して東大医学部と対立し、ドイツからの帰国後、日本の医学界で干されたこと。その危機に手をさしのべて、伝染病研究所をつくってくれたのが福沢諭吉であることなど、授業のネタは盛りだくさんである。 高峰譲吉。受験ではもちろんアドレナリンの抽出、タカジアスターゼである。しかし、アドレナリンについては、彼の死後、アメリカのエイベルが「自分の研究の盗作だ。」と主張した。現在、これは言い掛かりであったことが判明しているが、今でもアメリカでは副腎髄質ホルモンを「エピネフリン」と呼んでいる。(ヨーロッパでは高峰らの功績を認めて「アドレナリン」の名称が使われている。) 長岡半太郎。受験では原子構造の研究である。でもぼくが墓前で言った言葉は「卒業生です。
長岡は、
大阪帝国大学初代総長として、八木秀次ら人材を集めた。そのとき講師でいたのが湯川秀樹である。長岡は1939年、ノーベル賞委員会に湯川を推薦。これが10年後に実ることになった。だから阪大関係者の中には、湯川のノーベル賞は阪大時代の研究という人もいる。


2013.12.11

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