コラム 新人墓マイラー奮戦記7 

『大村益次郎から中原中也』


 2013年8月初旬の土日、ある会合に出席するために山口へ行くことになった。自動車を使っての一人旅、松山から山口までの間、高速道路伝いの墓マイラーと化した。

 最初は大村益次郎である。

 山口南ICを降りて少し走ると「鋳銭司郷土館」にたどり着く。鋳銭司は、和同開珎などの古代銭貨を鋳造した令外官である。この場所に長らく鋳銭司が置かれていたことからこの名がある。
 読み方は本来、「すぜんじ」である(と大学時代習った)が、最近は山川の『日本史B用語集』やウィキペディアにも「じゅせんし」とふってあり、正しい言葉が消えていくようで残念に思っていた。
 しかし、地名としてしっかり「すぜんじ」という言葉が残っている(ことも今回初めて知った)。この鋳銭司郷土館は、文字通り貨幣の資料館であると同時に、大村益次郎の資料館でもある。理由は、この地が大村益次郎の出身地だから。

 小さな郷土館は、ガラガラ。ぼくが入館して窓口に行ったら、展示室に電気が灯り、解説のテープが流れ出した。土曜日の昼下がり、30分以上いたが、ぼく以外の来訪者はなかった。
 しかし、入館料100円のこの小さな郷土館。ぼくにとっては大発見の穴場の感があった。

山口南ICを降りて5分ほど。しかし車でなければなかなか行きにくい。 兵部大輔への任命書。藤原永敏になっているのは、実際そのように称していたことがあるから。本物である! 大村益次郎が毛筆で書いた英語をヘボン(ヘボン式ローマ字のヘボン)が鉛筆で添削したもの。

 
 写真撮影可。しかも幕末~明治初年の大村益次郎関係の史料はすべて本物であった!大村益次郎への軍功による「高1500石永世下賜の宣旨」や「兵部大輔への任命書」を見つけて興奮して、郷土館の人に「展示されている資料は本物ですか?」と尋ねたが、意図が通じず困惑された。
 改めて、
 「実は、外務省の外交史料館に展示されている幕末、明治の史料は、シミや汚れまでまったく同じように再現されているレプリカなのです。ここに展示されているものは本物ですか?」
と聞くと、理解されて笑いながら、「うちはそんなもの(精巧なレプリカ)を作れるようなお金はありません。ですから本物です。」とのことであった。

 上野戦争の時かぶっていた陣笠や第二次長州征討の際の作戦図などもあった。これで100円!。ここへ来る前に訪れた、国宝1つと重文を多数所蔵とうたい入館料500円もとって、入ってみたらほとんど展示品はなく、しかもパンフレットにある国宝、重文は一つも展示してなかった岩国のK史料館とは大違いであった。
 貨幣のコーナーも、本物を展示しており、ぼくが半年前(2月)に東京の造幣博物館に行っていなかったら、こちらも感動していただろう。

 大満足で鋳銭司郷土館を後にして、車が離合できないくらいの細道を山側へ向かう。大村益次郎の墓へは、看板が誘導してくれた。
 大村益次郎の墓の隣には、同じ形で琴子夫人の墓が建てられていた。京都で襲われた益次郎を大阪の病院で治療したボードウィンとともに彼の死を看取ったのは、シーボルトの娘イネであった。NHKの大河ドラマ『花神』では、イネは益次郎の恋人役として描かれていた。しかし実際に一緒に眠っているのは琴子夫人である。同じ一対の墓であった。
 

墓へは迷わず着いた。NHKの大河ドラマ『花神』(1977)が放映された時は賑わったらしい。 大村益次郎の墓。大村永敏となっている。 隣(奥)は琴子夫人の墓。一対の墓であった。

 

 次は、湯田温泉。とくれば当然、中原中也である。ぼくと同世代の人の中には、彼の『汚れちまった悲しみに』をそらんじられる人が、何人もいるのではないか。

 汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる
 汚れっちまった悲しみは たとえば狐の革裘 汚れっちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる
 汚れっちまった悲しみは なにのぞむなくねがうなく 汚れっちまった悲しみは 懈怠のうちに死を夢む
 汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れっちまった悲しみに なすところもなく日は暮れる


 あぁ やっぱり中原中也はいい!

 まずは、「中原中也記念館」。ここでも小一時間過ごした。気付いたのは「汚れちまった悲しみに」は、さほど代表作扱いされていないのですね。
 その後、すぐ近くにある井上公園(旧高田公園)へ。中原中也の詩碑がある。SF作家新井素子の小説の中で、
「下手な字ですね。」「でも小林秀雄ですよ。」「ならいい字なのかもしれません。」
というやりとりのある碑である。

  そして、吉敷郵便局の近くにある中原中也の墓へ。あいにく雨が降ってきたが、さほど迷わずに見つけることが出来た。畑の中の小さな墓地の一角にあった。

井上公園にある中原中也の「帰郷」の詩碑 小林秀雄の手による「帰郷」の一節 碑文は大岡昇平 中也の墓。「中原家累代の墓」の文字は中也の手による。

 

 ここからは、国宝の五重塔が、日本史の図表に必ず載っている瑠璃光寺周辺の墓である。

毛利敬親の墓。「そうせい侯」と莫迦にされたが、終わってみれば幕末の動乱を乗り切り、長州を雄藩にした人であった。香山公園の毛利家累代の墓所の中央にある。 毛利元就の菩提寺洞春寺山門と観音堂が国重文 洞春寺にある井上馨の分霊碑。隣の鮎川同様、墓は東京にある。 日産の創始者鮎川義介の分霊碑


2013.8.6

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