頂いた質問から(8)

『天保期における大塩平八郎の乱の歴史的意義について述べよ』

 高校3年生の女子生徒さんから、次のような質問を受けました。

 私の通っている高校の日本史のテストには、毎回300字以内で書く、論述問題が出題されます。試験の一週間前に、2種類の論述問題の文章が提示され、そのどちらかが必ず試験に出ます。問題は

天保期には内憂外患が深まり、支配階級にも危機意識が高まった。とりわけ大塩平八郎の乱は、幕府に大きな衝撃を与えた。
天保期の内憂外患とは何か。また、大塩平八郎の乱について、乱の背景、大塩平八郎の人物、乱の経過などに留意しながら説明し、それがいかなる意味で幕府に衝撃を与えたのか述べなさい。


です。

 最近、こういう質問が多くなりました。ぼくが解答例を示すことは、試験を機に生徒に考えさせようとしている先生の熱意に背くものであり、同業者としての倫理にもとるのではないかと悩み、お断りしようかとも考えました。
 しかし、彼女のお便りの中に、

毎回、論述を作る際には、こちらのHPや教科書などを見比べながら作っていますが、今回私にはどのようにまとめたらいいのか分からない問題が出題されてしまったので、力をお貸しいただければと思い、失礼を承知でメールを認めた(したためた)次第です

と書いてあったことから思い直しました。

 予備校や塾に通っている生徒は、その先生に頼ることもできる。しかし自力で受験に備えている生徒は、何を頼るのか。
 インターネットは、東京や大阪、京都、名古屋のような有名な予備校や講師のいる街からはほど遠い地方に住んでいる生徒や、家にパソコンはあるが予備校に通う余裕はない受験生のための、いうなれば
「田舎者と貧乏人の武器」であってしかるべきではないのか。

 ぼくのHPを知っているというだけでも、彼女は人並み以上の努力はしているのでしょう。
 そして、あらかじめ先生が問題を公開しているということは、方法は問わず調べなさいという意図なのだろう。
 何より、「2種類提示される」とあるのに1つしか聞いていない。サボる気なら、二つとも聞けば良い。もう一つは自分で考えて解答を導いているのだろう。
 そう考えたら吹っ切れました。

 <頂いた質問>

 上記のとおり。

 答えるべきポイントは、天保期の内憂外患とは何か。また、大塩平八郎の乱が幕府に衝撃を与えた理由を、乱の背景、大塩の人物像、乱の経過などをふまえながら300字で書くことである。



 
<野澤の回答>

 まず、大塩平八郎の乱がおこった1837年前後の外交問題を考えて下さい。1837年モリソン号事件→蛮社の獄(1839)、1840年アヘン戦争、1842年天保の薪水給与令と鎖国が動揺していたことは容易に思い付くと思います。この後、水戸藩を主として尊王攘夷運動の激流が訪れることは知っての通りです。字数制限が300字ですから、外患はこれらのまとめでいいでしょう。
 
 次に、大塩がその檄文で述べている蜂起の理由です。天保の飢饉にもかかわらず、幕府が有効な手段を取らないばかりか、役人たちは大商人を優遇して貧民を犠牲にしていると述べています。ですから乱の背景としては、彼の言葉を使わせてもらって、天保の飢饉に対して有効な手段を講じることの出来ないばかりか、庶民を犠牲にする幕政への不満でいいでしょう。
 このころいわゆる三大改革が行われていますが、これらは貨幣経済の発達によって、幕府が本来依っていた本百姓体制の構造的な矛盾が明らかになった結果であり、相次ぐ飢饉はこれに拍車をかけていました。

 3つ目の大塩の人物像ですが、彼が元大坂町奉行与力という幕臣であったことは絶対です。さらに彼は知行合一を唱える陽明学者であったことは落とせません。余談ですが、三島由紀夫はこの「大塩の乱の精神をこそ陽明学」とよんでいます。

 最後に乱の経過ですが、実際には1日で鎮圧されました。しかしその後、生田万の乱など大塩の精神に影響された者の乱が起こります。
 言ってみれば大塩の乱は、支配身分である武士であり、かつ知識人が初めて起こした兵乱でした。しかも理由は義挙、つまり白昼堂々と行われた幕政批判でした。
 このことはやがて、アヘン戦争によって薪水給与令をだすなど、外交について有効な手段を打てない幕府を、尊王攘夷を唱える徳川斉昭の水戸藩が正面きって批判するなど、支配者身分による幕政批判へとつながることになっていきます。

 これらを300字でまとめて下さい。例えば、

天保期はモリソン号事件への批判から蛮社の獄が起こり、アヘン戦争を知って薪水給与令を出すなど鎖国が動揺していた。一方、相次ぐ飢饉と貨幣経済の発達は、本百姓体制を基本とする幕藩体制の構造的な矛盾を深刻化させていた。大塩平八郎は挙兵の理由を、天保の飢饉に対して有効な手段を取らないばかりか、大商人を優遇して庶民を犠牲にしている幕府に対する義挙だと述べている。彼は知行合一を掲げる陽明学者であるとともに、元大坂町奉行与力であった。彼の挙兵自体はわずか1日で鎮圧されたが、その後生田万のように彼に影響を受けたと公言する者も現れた。この知識人かつ幕臣からの武力も辞さない幕政批判に、幕府は衝撃を受けたのである。(300字)

といった感じです。

 2006.7.14

 このメールを送った直後に彼女からお礼のメールがあった。(実際には数分はたっていたのだろうけど、その返事の早さに驚いた。)
 「待っていたのかな?」と思ったら、返事をして良かったと改めて安堵した。さらにその便りの中に、

これを参考に、自分でも頑張って製作してみようと思います。

という言葉があったことで、何となく救われた観があった。

 ぼくに論述関係の質問メールをくれる人。君たちが大学受験というものを考えるのなら、ぼくの解答はあくまで参考にして、自分の言葉で文章を考えるようにして下さい。丸暗記では、受験の論述には耐えられませんから。

コラム目次へ戻る
トップページへ戻る