『新年之始乃波都波流能 家布敷流由伎能伊夜之家餘其謄』
〜新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事〜
(あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)
『万葉集』最後の歌であると同時に、編者大伴家持最後の歌でもある。
天平宝字3年(759)の正月、因幡国守大伴家持は42歳であったと考えられている。
歌の意味は、「新年の初春の今日降る雪、この豊作の徴(しるし)である雪がしきりに降り積もるように、今年良い事よ積もれ、積もれ」というようなものである。
一見、祝い歌のようだが、このころ家持は失意のどん底にいた。2年前の757年、政敵藤原仲麻呂は「橘奈良麻呂の変」を鎮圧して地位を固める。これに連座して大伴家は大幅に粛清された。翌758年6月、家持もまた、都を離れ因幡の守となる。さらに同年8月、藤原仲麻呂は淳仁天皇を擁立し、天皇から恵美押勝という名を賜る。大伴氏の復権は絶望的と思われた。そして迎えた正月に、家持はこの歌を詠んだ。
これ以降、家持は26年も生きている。だが、その間に一首の歌もなく、よく「歌わぬ人家持」となったと言われている。
そんな大伴家持が詠んだこの歌は、しかし、美しい。「年の始の初春の」など躍動感に溢れている。それだけに「どうか今年よいことがありますように」という祈りが伝わってくるようだ。
今日、2006年となった。センターテストまであと20日である。
ぼくのHPを見てくれている君たちの多くは、きっと受験生だろう。正月も不安の中で過ごしている。
しかし、家持とていつまでもどん底の苦しい時代が続いた訳ではなかった。
意外に万葉ファンには知られていないようだが、実際の彼は、恵美押勝(仲麻呂)、道鏡が失脚し、白壁王が光仁天皇として即位した770年、正五位下に任ぜられ復権を果たす。天平21年(749)に従五位上を与えられて以来、実に21年ぶりの叙位であった。これ以後、光仁朝、桓武朝では順調どころか破格の昇進を続け、785年に死去した時点での肩書は中納言従三位であり春宮大夫、持節征東将軍をも兼任していた。15年間に6階級も進んだことになる。
(もっとも死後、藤原種継暗殺の首謀者との嫌疑がかけられ、生前の官位を剥奪された。これも桓武帝晩年の806年に復位している。)
冬はいつまでも続くものではない。
君たちにとって、どうか今年が素晴らしいものでありますように。
新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事
新年のご挨拶に代えて
野澤 道生
2006年元日