『受験直前のクリスマスに』

 どうも地歴・公民科(社会科)準備室というのは、生徒にとって職員室というイメージではないらしい。数年前もクリスマス間近のある日、準備室の前の廊下で、男子生徒が、ぼくのクラスの女子生徒を口説いていた。

馬鹿野郎!職員室の前で女を口説くんじゃねえ!

ぼくはよっぽど、ギターを持って行って、横で歌ってやろうかと思った。

「♪きっと君は来なーい、一人きりのクリスマスイブ♪」

閑話休題・・・・。10年ほど前の話である。

  授業の後、一人の女子生徒から、そっと封筒に入った手紙を渡された。当時、20代独身であったぼくは、ドキドキしながら他の先生方に隠れて封を開けた。内容は、

「私は幕末の動乱のところが大好きです。先生が授業でどんなお話をしてくださるのか、すごく楽しみにしていたのに、先生はポイントだけ押さえてアッサリと流してしまいました。とてもがっかりしています。」

という抗議のお手紙だった。

 その女子生徒は、夏休みの家族旅行が『白虎隊の跡地巡り』といった子で、父親の強烈な歴史好きに影響され、2年生の時から日本史の成績が爆発していた。(そういえば、最近も父親の影響を受けて、日本史が爆発している生徒がいたなぁ・・・)

 そして、2年生の最初の定期考査の後から、自発的に『訂正ノート』を作って提出してきた。ぼくは『訂正ノート』なるものを作らせたことがなかったので、驚いて「ぼくの授業では出さなくていいよ。」と言った。しかし彼女は、笑顔で「いえ、自分で作ったんです。」と応えた。
 見ると、ノートに問題と解答用紙をきれいに張り付けて、自分が間違った答について訂正した後、なぜ間違えたのかを分析してあった。(と言っても、間違いは多い時でも5〜6問であったが。)そして最後に、全体を通しての感想が書いてあった。ぼくもそれに対してコメントをつけて返した。

 そして試験のたびに、お互いのコメントも長くなっていった。と書くと、まるで『愛の交換日記』(知らない?)のようだが、実際は、

「先生は、『近代日本の基を築いたのは、西郷隆盛よりも大久保利通だ』と言われましたが、父が『それは違う。西郷のほうが偉い。』と言っていました。どうなのでしょう。ちなみに父は西郷隆盛の大ファンです。」(エピソード「勝って驕らず−西郷隆盛−」参照)

といったようなものであった。ぼくが大久保利通を高く評価しているのは、知っての通りである。(エピソード「渾身これ政治家−大久保利通−」参照)

 ともあれ、彼女の訂正ノートは実によく自分の間違いを把握していて、ほとんど同じ失敗をしなかったように思う。

  今、センター試験まで1カ月足らずとなった。必死で問題集を解いていることと思う。もちろん中には、「そうだったのか。」という発見もあるだろう。しかしほとんどの者は、日本史で満点をとる必要はないハズだ。ならば大切なことは、無駄な失点を防ぐこと。つまり、「あー、しまった、そうだった・・・」というミスをしないことである。そのためには何をするべきか。

考えたら分かるよね。

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