頂いた質問から(4)
『恐るべき中学校定期考査のレベルー近代後期について論ぜよー』

 
 先日、石川県の中学2年生の女子生徒さんから、次のような質問を受けました。

 <頂いた質問>

 学校のテスト(定期考査)があるのですが、社会の出題範囲が、東京書籍『新しい歴史』のP152〜P169で  

「第一世界大戦」「国際協調の時代」「アジアの民族運動」 「大正デモクラシー」「社会運動の高まり」「新しい生活と文化」 「世界恐慌とブロック経済」「欧米の情勢と日本(ファシズムなど)」「日本の中国侵略(5・15や2・26も)」 

の範囲についての質問2問ほどに、
論文形式で一問250字程度で回答します
 
 細かい事実関係が正確かよりも、当時の
時代の流れを大きくつかんでいるか、政治の動きや経済状況と起こった出来事を正しく認識しているか、日本の動きと世界各国の関連性を正しい流れの中で理解しているかの観点でみるそうです。 
 例えば、「
帝国主義・国際協調・ファシズムなどの大きな流れの中で具体的な事実を踏まえるよう学習してきなさい」と言われました。(略)どのように勉強したらよいのか、など教えていただけないでしょうか。

 
 受け取った時、何に驚いたといって、この問題のレベルの高さである。

 大学入試問題でも通用する問い方である。出題される先生が、どのレベルの解答を期待しているかはわからない(採点する指導者の力量も問われる設問である)が、これは公立中学校2年生の期末考査の問題であり、「学習指導要領」の狙いに沿っている。大学受験生に関わる教員(高校の教員)は、中学校での学習内容を軽視しすぎているのではないかと反省した。

 優秀な生徒にとっては、この論述に答えようと努力することで得られる「思考・判断」力や、文章で表現するために磨かれる「技能・表現」力は、すべての分野で通用するだろう。国・数・英に関わらず、社会・理科でも中学校で学んだことが、将来、そのまま生かされていくことを再認識した。(ちょっと別の感慨や懸念もありはするのだが・・・)

<野澤の回答(中学生向けに書いたつもりです)

取り急ぎポイントと思われる点を書いてみます。 

第一世界大戦」「国際協調の時代」「アジアの民族運動」「大正デモクラシー」「社会運動の高まり」「新しい生活と文化」「世界恐慌ブロック経済」「欧米の情勢と日本ファシズムなど)」「日本の中国侵略(5・15や2・26も)」の範囲についての質問2問ほどに、論文形式で一問250字程度で回答します。細かい事実関係が正確かよりも、当時の時代の流れを大きくつかんでいるか、政治の動きや経済状況と起こった出来事を正しく認識しているか、日本の動きと世界各国の関連性を正しい流れの中で理解しているかの観点でみるそうです。 例えば、帝国主義・国際協調・ファシズムなどの大きな流れの中で具体的な事実を踏まえるよう学習してきなさい、と言われました。 

とのことですので、大きな流れを説明します。 

 帝国主義とは「資本主義国家の政治的・経済的侵略政策の段階」のことですが、具体的にいうと、イギリスでおこった産業革命の結果、資本主義国は自国で消費できない量の工業製品等を作れるようになりました。そこで、できた製品を買ってもらう場所が必要となってきます。そのため、製品を売りつけ、原材料を安く買い付けられる場所として、植民地を求めるようになりました。この「自国の経済を発展させるために植民地を獲得していこうとする政策」が帝国主義といえます。

  第一次世界大戦は、世界で最初に植民地獲得に乗り出した国の一つであるイギリスと、植民地政策に出遅れて、新たに植民地を獲得しようとしていたドイツとの植民地政策をめぐる利害の衝突に、バルカン半島の民族運動が複雑にからんでおこりました。

 この戦争中に、帝国主義の流れの中、日本は中国に「二十一箇条の要求」を突きつけてこれを認めさせ、中国での利権を拡大します。しかし、戦争に勝利した国の一つであるアメリカ大統領ウィルソンの「民族自決主義(それぞれの民族の生き方は、それぞれの民族が自分たちで決めるべきである)」の影響で、中国でも日本の支配強化に対する反発がおこり、日本が植民地にしていた朝鮮でも独立運動がおこります。これを日本は武力で鎮圧し、人々の反発を受けます。(アジアの民族運動

  一方、戦争の反省から、国際紛争を話し合いで解決しようという動きがおこり、国際連盟が設立されます。国々が共存をはかり、経済を圧迫する軍事費を削減するために軍縮会議を行う時代になり、これを国際協調の時代といいます。具体的にはワシントン軍縮条約ロンドン海軍軍縮条約などが結ばれました。日本も欧米と中国をめぐる武力衝突をさけるために、中国の内政に干渉しない(表だって中国を侵略しない)という立場をとります。

  また、世界的な民主主義の流れは日本の思想にも影響を及ぼしました。日本の産業の発達、市民社会の成立などから、大正時代には日本でも自由主義・民主主義思想が流行し、社会運動や労働運動が進展しました。これを大正デモクラシーといいます。明治以来の義務教育制度の拡充から、知識層が拡大し(学校を出て教養のある人が多くなり)、大衆文化(一般の人々に受け入れられ、参加できる文化)が花開き、雑誌が読まれるようになりました。また自然科学の分野での野口英世(千円札)に代表されるような実績が数多くあげられたのもこの時代です。(新しい生活と文化
 
 しかし、1929年、アメリカ、ニューヨークのウォール街の株価の大暴落から、世界恐慌がおこり、日本も巻き込まれます。この空前の大不況の中、世界の資本主義国は、自国の経済を守るため、自分の植民地をブロックして、他の国との取引をさせない、いわゆるブロック経済を行います。つまり、イギリスはイギリスの植民地との間で貿易を行い、他の国に植民地との貿易をさせないわけです。 このような流れの中、イギリスやフランス、アメリカのブロック経済圏からはじき出された日本では、日本も植民地を得てブロック経済を行わなければ生き残れないという考え方が強くなっていきます。アジア諸国を日本経済の支配下に置こうという考えです。
 そのためには、国家が最優先であり、その前では個人の犠牲はやむをえないという考え(国家主義・全体主義)が台頭しました。これをファシズムといいます。ここでいうアジアとはもちろん、東南アジアや、中国です。

  中国への内政不干渉と中国市場のゆるやかな開放という協調外交は、弱腰と非難され、軍部は中国侵略へ乗り出します。そのひとつが満州事変です。欧米と対立したくない政府は反対でしたが、世論や朝日新聞社を中心とするマスコミが軍部を支持し、中国での日本の軍事行動は拡大していきます。これに反対する犬養毅首相が軍部に暗殺されたのが五.一五事件であり、軍による内閣を組織しようとしておこったのが二.二六事件というテロです。

 
 
いつもながら感心するのは、「最近の若い者」の礼儀正しさである。(もちろん例外もいるが)

 彼女からも、すぐに返事が届いた。その中に、ぼくは「高校の先生だったのに、中学生が質問しちゃってごめんなさい。・・・テスト勉強がんばります。お忙しいところ、ありがとうございました!」という文言があった。

 日本史が好きで、学びたいという意欲がある者に、年齢は関係ないですよ。いつでも、質問をお待ちしています。

2004.12.14

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