『このHPを見てくれている皆さんへーみんな須く努力しているー』


 11月となった。いよいよ正念場にさしかかっている。その一方で、後輩たちは、新人戦や春の選抜大会予選のまっただ中である。

 今の学校に転勤するまで登山部の顧問だったぼくとしては、

甲子園に応援に行くよりも、誰も応援してくれない登山競技であっても、自分がインターハイに行く方が感激するに決まっている。

といって、部員を鼓舞してきたが、いずれにせよスポーツはいい。

 新規採用教員の時、全く素人で顧問になったぼくに、一から登山と登山競技のなんたるかを教えてくださり、大切に育てていただいた愛媛県高体連登山専門部には本当に感謝している。顧問としての実働期間はわずか8年間に過ぎず、男女同時にインターハイの表彰台に上げるという夢は叶わなかったが、生徒とともに泣き笑い、本当に幸せだった。選手たちに与えてもらったインターハイの2つのメダルは大切に飾ってある。やはり全国大会は夢の世界だ。

 だからこそ、最近、疑問に思うことがある。それは、甲子園やインターハイで活躍した選手や学校に対して、

あそこは県外から選手が来ているからだめだ。

という言葉である。

 情けないことに、ぼく自身もかつてはこう思っていた。しかし、大学受験生を指導する立場となって、この考え方はおかしいとはっきりと思えるようになった。

 「東京大学へ行きたい」「名門大学へ進学したい」という夢を持って、県外の有名進学校に進む生徒に対して、声高に批判する人をぼくは見たことがない。
 愛媛県でも周辺の郡部から、遠距離通学や下宿してまで、松山市内の高校へ進学している生徒はたくさんいる。その生徒にたいして、「おまえは何で地元の学校へ行かないんだ。」とう声はまず聞かない。むしろ「がんばってるな」と称賛されている。

 「東京大学へ行きたい」「名門大学へ進学したい」という「夢」をかなえるために、地域外の進学校に行くことはいいことで、なぜ「甲子園へ行きたい」「インターハイへ出たい」という「夢」をかなえるために、県外のスポーツ強豪校に行くことはだめなことなのか。

 そこには「勉強ができることは素晴らしいことで、スポーツができるなんてのはつまらないことだ。」という意識があるからではないか。口では「一人ひとりの個性を尊重する。」といいながら、実際には(仮に無意識のうちであっても)「学力がすべてに勝る」と考えているからではないのか。

 ぼくのHPを見てくれている人は、日本史で大学受験を目指している人たちだと思う。

 数学ができる人は素晴らしい。英語ができる人は素晴らしい。それと同じように日本史ができるということは素晴らしい、自信をもてばいい。そしてさらに同じように野球ができる、サッカーができる、卓球ができる、芸術ができることは素晴らしいことなのである。

 今、ぼくのHPを見てくれている君たちは、人並み以上に日本史学習に対して努力をしている。そんな君たちだからこそ分かると思う。人より抜きんでようとするものは、皆、須く(すべからく)努力をしている。そう、

 努力した者が必ずしも成功するとは限らないが、成功した者はみんな須く努力しているのだ。

 そしてそれは、全ての分野で同じことである。

 願わくば、努力をした君たちが、それぞれの志望校へ合格できますように。

 さらに願わくば、君たちが志望校に合格してもなお、学力優先主義というつまらぬ思想に縛られず、フェアにものごとを評価できる力を身につけられますように。

2004.11.5

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