2011年度大学入試センター試験『日本史A』問題解説

 大学入試センターが発表している平成22年度の「試験問題評価委員会報告書」の「問題作成部会の見解」に
今年度の「日本史A」の平均点は、48.42 点で、昨年度より 1.91 点上昇した。この上昇については、高等学校教科担当教員から、問題の難易度は下がった一方で、受験者が比較的苦手としている「社会・経済」「文化」からの出題が昨年度に比べて増加したこと、「日本史B」との共通問題の難易度が比較的高かったことが関係しているとの評価がなされている。問題作成部会としては、平均
点が上がるように作問に心掛けてきたので、平均点が上がったことにはある程度満足しているが、「日本史B」の平均点との格差はなお大きいので、今後も平均点が上がるように配慮していきたい。
」とあったことから、これは今年も「猫が歩き回っている状態」になるだろうと考えていたが、昨年より難易度が上がったようにぼくには思える。

 
日本史A

第1問
問1.Bが正解。@は大衆雑誌『キング』から、Aの玉音放送は有名だからクリアするとして、BとCのどちらかである。東京オリンピックは1964年であり、同年、東海道新幹線が開通している。それなのに9割の家庭にテレビがないということがあろうか。山川の教科書に「テレビ放送は、1960年代半ばまでに大方の家庭に普及して日常生活に欠かせないものとなり」と書いてあることを知らなくても、考えたら分かる。
問2.Bが正解。Xは中国との全面戦争の原因だから、bの盧溝橋事件。Yは猫でも国家総動員法だと分かるし、少なくとも戦後経済の復興ででてくる傾斜生産方式ではないでしょう。
問3.Aが正解。猫。@は江戸城無血開城だし、Bは東京は焼け野原となった。Cは朝鮮戦争の特需景気で日本が生き返ったことを考えたら分かる。

第2問
問1.Cが正解。パークスはイギリス公使。阿部正弘はペリー来航の時、広く朝廷から大名、庶民にまで意見を求めて幕政の転換となった老中である。日本史Bの人には基本だが、Aに特化していた人には難しかったか。
問2.Bが正解。日本史Bの人には、水野忠邦失脚の原因=上知令の失敗だから基本だが、Aに特化していた人にはペリー来航前の話なので難しかったかもしれない。
問3.@が正解。甲は佐賀藩の反射炉、乙は五稜郭である。あー、説明の余地なし。子猫の問題である。
問4.Aが正解。恥ずかしながら、AとBとの間で1分ほどにらめっこをしました。「えー、円・銭・厘の10進法は新貨条例やろ。」よく見たら、両・銭・厘と書いてました。これが違って人は見誤ったのでしょう。@の徴兵令は国民皆兵を目指した。Cの地租改正は「地価の3%を地主が金納」である。
問5.@が正解。電信は西南戦争の時には活躍したし、鉄道や人力車も明治の風物だから正・正に見える。本当かと不安になったのではないか。ぼくも疑ったが、正解でした。。
問6.Eが正解。V:民撰議院設立建白書は征韓論争の翌年の1874年で、その翌年(1875)に大阪での国社結成に対して、Uの謗律・聞紙条例(ざんしん)。その愛国社の第4回大会で国会期成同盟(晴れの日、国会まれ→1880国会期成同盟、会条例)である。

第3問  日本史Bの第5問と同じ。

第4問
問1.Bが正解。基本。最初の総理大臣は伊藤博文。帝国憲法発布時は黒田清隆。第1回帝国議会の時は山縣有朋は基本。
問2.Cが正解。子猫でもできる。解説の余地なし。だいたい帝国憲法発布の時にはまだ帝国議会は開かれていない。
問3.Aが正解。サービス問題。この憲法発布の式典の絵を見て、参列者の服装が洋服ではなく衣冠束帯だと見えた人はいないだろうし、c・dについては史料に「言語に絶した騒ぎを演じている。」と書いてある。
問4.@が正解。a、b、cはそれぞれ、a=ロシア、b=日本、c=中国(清)である。甲午農民戦争に際して、朝鮮はcの中国(清)に派兵を要請した。これを清が天津条約に基づいて日本に通知。日本は対抗上、出兵した。Aは三国干渉だから分かると思う。Bは難しかったかもしれない。日清戦争後、清から離れてロシアに接近しようとした閔妃を、日本の公使三浦梧楼が主謀者となり、殺害したとされる事件である。
問5.Bが正解。日韓併合の過程は重要。年代を正確に覚えていなくても、Vの朝鮮総督府が最後なのは分かる。外交権と内政権のどちらが国政にとって重要であるかを考えたら順序は判断できる。Uの第2次日韓協約で外交権を奪って、韓国を保護国化し→Tの第3次日韓協約で内政権を奪って、軍隊を解散させ、安重根による伊藤博文暗殺をきっかけに→V日韓併合を行って、朝鮮総督府を設置した。

第5問 「日本史B」の第6問と同じ。

第6問
問1.@が正解。アは日本史というよりは国語の問題。「戦況の速報をめぐる新聞各社の競争」などから報道だと分かる。イは、日露戦争遂行のための重税に耐えたのに賠償金がとれなかったことが、講和反対の日比谷焼き討ち事件につながっていった。ダミーとなった勤労動員は、日中戦争→太平洋戦争時の国家総動員法→国民徴用令の流れである。
問2.@が正解。福沢諭吉の『脱亜論』は、西洋と同じようにアジアに接すること(帝国主義的な対外膨張)を主張している。
問3.Bが正解。基本問題。日露戦争前後だから1900年〜1910年の明治末と考えたい。まず@は自由劇場が歌舞伎の近代化ではない。Aの築地小劇場が小山内薫の代名詞なのは常識。中学校の図表にもでている。Cの教育委員会は戦後の教育改革の話。かつて教育委員が公選制であったのが、任命制に変わったのが鳩山一郎内閣の1956年であったことを問う問題があったが、それに比べれば遙かにやさしい。国定教科書制度の1903年は頻出している。
問4.Bが正解だが、意外に日本史A・Bを通してこれが一番難しかったのではないかとぼくは思う。Xは長春、Yは現在のソウルを選ばせる問題である。ソウルをd(釜山)だと思う人はいないだろうから、Yがcなのは分かる。問題は、長春だが要は南満州鉄道がどこを走っているかというイメージ(遼東半島の先の旅順から北へ向かって走る)を持っていたか否か。あるいは南満州とは中国東北部の朝鮮半島の北側だと認識できているかが鍵であった。aは北京である。
問5.Bが正解。これも難しかったのではないか。ウは国民政府が首都を南京、さらに重慶へと移して抗戦を続けたことを認識していたか。エは空襲から逃れるために防空壕を掘ったことを知っていたかということである。またはバラックとは何かが分かっていても消去法で解けた。
問6.Aが正解。@は戦勝を誇張するニュース映画が放映された。Bは戦時中は、政府・軍部批判が含まれないかなど検閲が強化された。Cは日本語を強制したことから誤りと分かる。
問7.Eが正解。Vのトーキーは大正文化だが、そこまで分からなくても戦前からあることを知っていれば、最初だと判断できる。TとUについては、手塚治虫のアニメとアメリカの日本占領と、どちらが先かという問題である。
問8.Cが正解。基本。自衛隊とゴジラは同級生(1954年生まれ)で、ビキニ水爆実験で、日本の漁船第五福竜丸が被災し、翌年広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれた。


2009.1.19

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