2009年度大学入試センター試験『日本史A』問題解説

 昨年、「以前は「B」科目に対して「A」科目は明らかに優しく、「A」でも「B」でも受験可の大学を志望する者は「A」を選択することが絶対有利だと考えられていた。しかし、この傾向は年々薄れており、あえて「A」科目を選択するメリットはないと考えられる。
 このHPを見ている人のほとんどもB科目受験者(予定者)であり、「A」を解説することは意味がないようにも思えるが、「近現代編」の学習の参考になればと思い作成した。」
と記したが、撤回する。

 今年は明らかにAが優しく、猫が歩き回っている状態であり、かつほぼ近現代のみの作問であった。

 やはり、志望校がAでもBでもいいのなら、Aでの受験を検討するべきだと改めて感じた。

 問題を掲載していない新聞も多いが、大学入試センターのHPなどから入手できる。平成21年大学入試センター試験 試験問題・正解

日本史A

第1問
問1.Bが正解。猫問。写真中に「召集令状、昭和廿年」という文字が見える。また、リード文にも「昭和期の戦争に関する資料」と書いてある。
問2.Eが正解。スーパー猫問。Tは明治初期の西南戦争、Uは江戸時代化政期、Vは室町時代の応仁の乱。これの並び替えである。@の日本郵船会社は三菱会社と半官半民の共同運輸会社の合併によって1885年に誕生した。
問3.Bが正解。猫どころかネズミでも解ける。Xの板垣は高知県出身。Yは禁門の変で敗北、明治維新の功績者で長州=山口県である。

第2問
問1.Cが正解。資料が読めれば解ける。
問2.@が正解。猫問。解説の余地もない。Aは1825年、Bは蛮社の獄、Cは日米修好通商条約である。
問3.Cが正解。U安政の大獄→V八月十八日の政変→T薩長同盟の並び替え。
問4、@が正解。猫問。文部唱歌と滝廉太郎。ちなみにダミーの鈴木三重吉は児童文学者で児童雑誌『赤い鳥』を創刊した。
問5.Bが正解。これまた猫問、というより絵を見れば男子と女子の両方がいる。わからない?坊主頭が男子でおかっぱや髪を結っているのが女子ですよ。ダミーの@は、この時代に外国人が日本人に「アイウエオ」を教えていたら凄いだろう。Aは国定教科書制度の1903年は頻出。Cの教育勅語は1890年制定である。
問6.Aが正解。猫問。@は徴兵令反対一揆。Bは五榜の掲示とのひっかけ。Cは「国民皆学」であったことを考えれば分かる。

第3問
問1.Aが正解。台湾出兵の台湾と、江華島事件の江華島の場所である。江華島が現在のソウルの近くであったからこそ、問題となったのである。
問2.Bが正解。台湾出兵が征韓論争の翌年であったことを考えると分かる。ちなみに@の内閣制度発足は1885年、Aの国会開設の勅諭は明治14年の政変のときで1881年。Cの秩父困民党による秩父事件は自由党左派の激化事件の一つに数えられており、松方デフレのために生活が困窮した農民らが1884年に起こしたものである。
問3.Bが正解。猫問。Bは日清戦争の講和条約である下関条約の第1条である。
問4.Dが正解。V日露和親条約(幕末)→T樺太・千島交換条約→Uポーツマス条約の並びかえ。
問5.Aが正解。@の開拓使は文字通り北海道の開拓のため。B屯田兵は士族授産の側面もあり、全国から集まった。特に戊辰戦争で敗れた東北地方の士族や旧幕臣などからなる屯田兵の中には、1877年の西南戦争で「憎い薩摩と戦える。」ことに燃えて、凄まじく活躍したものもあったが中央政府から評価されず、論功行賞の不平等を憤慨する声もあった。Cの北海道旧土人保護法は1899年に制定され、アイヌの同化をはかる差別的なものであった。アイヌの文化と人権を守るために制定されたのが、1997年制定のアイヌ新法である。


第4問 「日本史B」の第5問と同じ。
第5問 「日本史B」の第6問と同じ。

第6問
問1.Bが正解。アの「天皇」はネズミでも解ける。イは自由党と接近したのは伊藤博文で、こののち伊藤は自由党を母体として立憲政友会を組織する。(エピソード『自由党が伊藤内閣に協力した理由』参照)
問2.@が正解。論外。解説の余地なし。今の憲法でもそんな規定はなく、事実、細川護煕内閣のときも衆議院第1党は自民党だったが、連立内閣で政権をとった。
問3.Dが正解。あ〜、「今年こそ条約改正が出る。」と言い続けて10年。ここで出るとは・・・、無念・・・。V井上馨の鹿鳴館外交→T大隈重信→U小村寿太郎による税権回復の並び替えである。
問4.Cが正解。基本問題。第一次護憲運動の中心人物と、第3次桂太郎内閣の次の総理は、基本中の基本。
問5.Cが正解。U日露戦争開始を巡る非戦論→V日露戦争後のポーツマス条約締結反対の暴動(1905)→T韓国併合(1910)の並び替え。
問6.Bが正解。Xの軍部大臣現役武官制の改定は、現役規定をなくし、予備役・後備役まで範囲を広げたものであり、陸海軍の幹部経験者でなければなれなかった。さらに実際には、現役規定をなくした後も、現役以外で就任した者はいなかった。

2009.1.18

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