2009年度大学入試センター試験『日本史』問題解説

日本史B

第1問
問1.Aが正解。猫問。陸奥・出羽が東北だということは知らなくても地図を見れば分かる。城柵という言葉がピンとこなくても、ダミーの水城が白村江の戦いの後、大宰府防衛のためにつくられたのは基本事項だから、消去法で判断できる。播磨から長門にかけての瀬戸内側は”今でも”山陽地方である。ちなみに南海道は大部分が四国地方である。
問2.@が正解だが、九州地方が西海道だと分かっていても、大宰府が統括したかどうかで迷った受験生もいたのではないか。だからパスするとして、Aは、衛士が置かれたのは北九州だから×、Bの東西の市は都に置かれたのだから×、Cの近江国が東山道であることは、古代の都の近江大津宮や近江国紫香楽宮が東山道にあるという問題で頻出する。消去法で@と分かる。
問3.Bが正解。@の琉球王国は三山を尚氏が統一して成立した。Aの貝塚文化は沖縄の文化である。Cは論外。
問4.Cが正解。もし@なら8代将軍徳川吉宗が出た紀州藩はなんやねん。Aは大名統制で転封があったことからわかる。「鉢植え大名」という言葉(大名の転封は「鉢植え」のように意のまま)もある。Bは大御所時代に設けられたが、幕領、大名・旗本領を問わず権限を行使した。
問5.@が正解。三新法とは、郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則のことで、それぞれA〜Cの説明のとおり。一見難問だが、統一的戸籍編成が行われたのは、1872年の壬申戸籍の時であり、人権・同和教育を受けていれば分かる。
問6.@が正解だが、ぼくには難問と言うより悪問に思える。Yは教科書の記載とおりだから問題ない。Xのモッセに関しても、『近代編前期5 立憲国家の確立』で述べているので、ぼくのHPを見ている人はだと判断できたであろう。しかし、現在全国の高校で使用されている日本史Bの教科書で、具体的にドイツ人モッセの名を記しているのは、山川と東京書籍、桐原の3社、逆に三省堂、実教の教科書では触れられておらず、受験生に対して平等性の上で配慮を欠いた出題だと批判されても仕方ないと思う。(こういう出題があるから「山川神話」がまかり通るのだと思う。)

第2問
問1.Cが正解。aは今でも漁労をしています。(食事の時にさかなを食べたことがある人なら、判断できたと思います。) cは人々の共同墓地から大量の武具が出たら怖いだろう。
問2.@が正解。Aの高句麗との交戦は、高句麗好太王碑に記されている。Bの土偶は女性形が多いし、何より土偶は縄文時代のものである。Cについて、大野城に代表される朝鮮式山城は、白村江の戦いの後、築かれたものである。
問3.Cが正解。猫問。基本用語のまま。解説の余地なし。
問4.Eが正解。猫問。大宝律令→国分寺建立の詔→志波城建設である。(今年から選択肢が6つというパターンが登場した。公民では8択などというのがあったが、日本史は「4択だが本当に理解していなかったら迷う、あるいは選択肢もヒントになっている」という出題がめざされているように感じていた。出題者の問題作成に対する意識が低下したようにぼくには感じられた。)
問5.Bが正解。スーパー猫問。国家が財源確保のために荘園を奨励するはずがない。
問6.Aが正解。Xの○は問題ない。Yの田楽はもともと民衆の神事芸能であり、平安末期に貴族が関心を持つようになった。

第3問
問1.Cが正解。猫問。@、そもそも地頭は荘官であり、荘園・公領に置かれた。Aの大犯三カ条は守護の職掌である。Bの新補率法は、承久の乱後、新たに補任された新補地頭に対するものである。。
問2.@が正解。Yの北条義時は和田合戦で和田義盛を滅ぼし、政所と侍所の別当を兼任した。この地位が執権と呼ばれるのであるが、執権と政所、侍所の別当を全く別に考えていた者(特に現役生)には難しかったかもしれない。
問3.Bが正解。猫問。aは検地帳の説明、dは永仁の徳政令である。Xはまさにそのとおり。Yの円覚寺舎利殿=禅宗様は基本中の基本である。
問4.Aが正解。猫問。解説の余地なし。
問5.@が正解。猫問なのだが、「正 正」が続くので不安になったのではないか。
問6.Bが正解。aは朝鮮通信使、dは正倉院宝物の一つ、紫檀螺鈿五弦琵琶である。

第4問
問1.@が正解。アのダミーの堂島は大坂の米市場である。イのダミー「戊戌夢物語」はモリソン号事件を批判した高野長英の本。
問2.Cが正解。江戸城無血開城は有名。
問3.Bが正解。@は町政に参加できるのは地主・家持のみである。Aは大塩平八郎のことだと考えられるが大坂で蜂起した。Cは知識として人口構成比率を知らなくても、参勤交代のために、江戸は武家人口が多かったことは容易に推測出来たと思う。
問4.Bが正解。問題文が読めたら解ける。
問5.Cが正解。これは工場制手工業(マニファクチュア)である。@〜Bは絵を見たら分かる。
問6.@が正解。bの紫衣事件は3代将軍徳川家光の時。女歌舞伎が禁止されたのが何年かを知っていた受験生はいないと思うが、これは歌舞伎が「阿国歌舞伎→女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎」と変わっていったこと。元禄時代にはすでに女形として芳沢あやめが活躍したことを考えれば、江戸時代初期に禁止されたと判断できる。(正確には女歌舞伎は1629年に禁止された。)

第5問
問1.@が正解。常識。猫問。解説の余地なし。
問2.Aが正解。Tの最初の社会主義政党結成は、1901年の社会民主党であり、前年制定の治安警察法によって即日禁止された。Uの第2次護憲運動は1924年、その結果、加藤高明内閣が成立した。Vは原敬内閣の時である。
問3.Aが正解。やや難しかったか。ぼくのHPではそれぞれ『近代編前期4 自由民権運動』と『近代編後期2 大正時代の政治・外交』で記している。
問4.Bが正解。Xでキリスト教はともかく、植民地に皇民化政策として神社遙拝などをさせていた日本が、国家神道を迫害するはずがないだろう。これは教派神道の誤り。Yはやや難しかったか。しかしセンターテストは基本的に難しい用語の正誤は正だと考えて良い。この場合、人民戦線事件、大内兵衛は現役生には難しい。このようなものは大概正である。

第6問

問1.Aが正解。Xはシベリア出兵のことで、諸外国が撤兵した後も止まり、領土的野心を疑われることになった。Yは米騒動の原因が米価の下落(値下がり)のハズないだろう!
問2.Dが正解。Tはパリ不戦条約(1928)、Uはロンドン海軍軍縮条約(1930)、Vはワシントン海軍軍縮条約(1921)である。
問3.Aが正解。落ち着いて考えれば解ける。Xは普通選挙法が1925年だと分かれば、1924年から1926年にかけて件数は増えているが、1928年に減少している。よって○。Yは世界恐慌が1929年だから1928年と1930年とを比較すると1件あたりの参加小作人数が減少していることが分かる。したがって×。
問4.Bが正解。@、A、Cが明らかに違うので解説の余地なし。
問5.Eが正解。基本事項の並べ替えである。Tは盧溝橋事件(1937)から始まる日中戦争での出来事。Uのリットン調査団は1931年の柳条湖事件から発展した満州事変に対するもの。Vの張作霖爆殺は1928年である。
問6.Cが正解。猫問。GHQによる戦後の教育の自由主義化の中で、日本歴史、地理、修身の授業が禁止された。
問7.Bが正解。Xの配給制度は戦後の食料難の間も続いた。Yはそのとおりである。
問8.Bが正解。@の小笠原返還は1968年。沖縄返還に先立って行われた。Aの警察予備隊は朝鮮戦争勃発(1950)の影響。Cは単独講和であったことを考えれば分かる。

 「よーい、スタート」で第1問の問5、問6が難しいので、舞い上がってしまった受験生がいたのではないか。また、第5問の問4も汗が出るような問題である。しかし、面倒なのはこの3問で、全部間違えたとしても7点である。
 全体としては例年よりやや難しいかというレベルである。猫問を確実にものにできたかどうかが、運命を分けるように思える。

2009.1.17

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