2008年度大学入試センター試験『日本史A』問題解説

 以前は「B」科目に対して「A」科目は明らかに優しく、「A」でも「B」でも受験可の大学を志望する者は「A」を選択することが絶対有利だと考えられていた。しかし、この傾向は年々薄れており、あえて「A」科目を選択するメリットはないと考えられる。
 このHPを見ている人のほとんどもB科目受験者(予定者)であり、「A」を解説することは意味がないようにも思えるが、「近現代編」の学習の参考になればと思い作成した。
 問題を掲載していない新聞も多いが、次のページなどから入手できる。大学入試速報2008 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

日本史A

第1問
問1.アは明治初めの1871年に上海・長崎間で開通とあるので電信と答えたい。ちなみにグラハム・ベルが電話を発明したのは1876年であり、その2年後に国産電話第1号がつくられている。イはもちろん石炭である。
問2.@の日本郵船会社は三菱会社と半官半民の共同運輸会社の合併によって1885年に誕生した。
問3.猫どころかネズミでも解ける問題。Tの鑑真は奈良時代。Uの咸臨丸は幕末。Vの朱印船は秀吉から江戸時代初めである。

第2問
問1.オランダ国王ウィレム2世の開国勧告にあるイギリス・清間の戦争はアヘン戦争。
問2.Cのロシアとの国境を巡る条約とは日露和親条約であり、開国後。
問3.Tの四国艦隊下関砲撃は1863年。Uの異国船打払令は1825年。Vのレザノフは1804年である。
問4、問5はグラフの読み取りであり、解説の余地なし。
問6.C改税約書により関税率が引き下げられたことで、日本は貿易赤字に転じた。
問7.アは「江戸城無血開城、西南戦争で敗死」で西郷隆盛だと分からなければ話にならない。イは五代友厚も薩摩藩出身だが、西南戦争の翌年暗殺で、大久保利通だと分かる。
問8.スーパー猫問。Xの岩倉使節団で条約改正に成功していたら、のちの「条約改正へのあゆみ」の授業は存在しない。Yは征韓論を主張したのは留守政府の側である。

第3問
問1.アは平塚(平塚雷鳥)市(市川房枝)新婦人(新婦人協会)。イの日本農民組合は賀川豊彦の方がメジャーだが、ダミーとなった農地委員会は戦後の農地改革の組織だから、消去法で分かる。
問2.表の読み取りである。
問3.Cの「サンデー毎日」は1922年創刊。戦前からあることは知っておきたい。
問4.@皇民化政策で朝鮮語の強要はないやろ。A社会民主党は1901年に結成された最初の社会主義政党だが、前年成立の治安警察法によって即日禁止された。B1925年に普通選挙法が成立している。Cは本文に「正しい」と書いてある。
問5.Yは問4で述べたとおり。
問6.1945年、太平洋戦争が終わる年のことだが、T沖縄戦開始は4月、U原爆投下は8月、V東久邇宮内閣成立は、ポツダム宣言を受諾して総辞職した鈴木貫太郎内閣の次である。
問7.@、A、Cはどう考えても違うやろ。解説の余地なし。
問8.問題文を読め!
問1.Cが正解。資料が読めれば解ける。
問2.@が正解。猫問。解説の余地もない。Aは1825年、Bは蛮社の獄、Cは日米修好通商条約である。
問3.Cが正解。U安政の大獄、V八月十八日の政変、T薩長同盟の並び替え。
問4、@問5はグラフの読み取りであり、解説の余地なし。
問6.C改税約書により関税率が引き下げられたことで、日本は貿易赤字に転じた。
問7.アは「江戸城無血開城、西南戦争で敗死」で西郷隆盛だと分からなければ話にならない。イは五代友厚も薩摩藩出身だが、西南戦争の翌年暗殺で、大久保利通だと分かる。
問8.スーパー猫問。Xの岩倉使節団で条約改正に成功していたら、のちの「条約改正へのあゆみ」の授業は存在しない。Yは征韓論を主張したのは留守政府の側である。

第4問 「日本史B」の第5問と同じ。
第5問 「日本史B」の第6問と同じ。

第6問
問1.Xは八木アンテナのこと。YのKS磁石鋼は本多光太郎と一問一答。ちなみに北里柴三郎はペスト菌、破傷風菌。岸田劉生は「麗子像」の作者である。
問2.難問。トーキーの制作・上映がはじまったのが1930年代であることは教科書の本文中にあるが、大正文化の項でまとめられることが多いので、大正時代と迷ったのではないか。なお、「活動写真」と呼ばれた無声映画が上映されるようになったのは明治時代である。(エピソード「レッド・パージと映画」参照) Yのエノケンは・・・できなかっただろう。
問3.猫問。満州事変→本土空襲→終戦詔勅に決まっている!
問4.猫問。「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(大日本帝国憲法第11条)
問5.やや難。軍事教練(学校教練)は、加藤高明内閣の1925年、第1次世界大戦の経験に基づき、広く軍事的予備教育を施す必要性が認識されたことと、当時陸軍大臣であった宇垣一成による陸軍の軍縮(宇垣軍縮)によって余剰人員となる将校の失業を防ぐために開始された。鉄血勤皇隊は、沖縄戦の直前の1945年3月に組織された。学徒出陣は1943年、サイパン島陥落の後である。

2008.1.20

 大学入試センター試験indexに戻る